塚の鳴古墳
塚の鳴古墳(つかのなるこふん)は、京都府京丹後市久美浜町甲山にある古墳。史跡指定はされていない。
塚の鳴古墳 | |
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石室開口部 | |
所在地 | 京都府京丹後市久美浜町甲山(字休場) |
位置 | 北緯35度36分53.15秒 東経134度55分28.43秒 / 北緯35.6147639度 東経134.9245639度座標: 北緯35度36分53.15秒 東経134度55分28.43秒 / 北緯35.6147639度 東経134.9245639度 |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
築造時期 | 6世紀代 |
史跡 | なし |
地図 |
概要
編集京都府北部、川上谷川河口の北東、内海(蓮池として痕跡)に面した低丘陵上に築造された単独墳である[1]。これまでに墳丘は失われて石室も半壊しているほか、発掘調査は実施されていない[1]。
埋葬施設は両袖式の横穴式石室であり、久美浜町内では有数の規模の石室になる。石室内に祀られる石像の銘から、17世紀後半にはすでに開口したとされる[1]。副葬品等の詳細は明らかでない[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀代と推定される。周辺は古墳が希薄な地域であるが、そのような地域にあって大型石室が構築された点で貴重であり、被葬者としては内海(蓮池)を基盤とした有力者像が想定される[1]。
埋葬施設
編集埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されている。石室の規模は次の通り[1]。
- 玄室:長さ4.8-5.1メートル、幅2.5-2.7メートル、高さ2.8メートル
- 羨道:幅1.3-1.9メートル
玄室内には、元禄3年(1690年)銘の石造聖観世音菩薩像のほか、地蔵尊・大師像が祀られる[1]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
脚注
編集参考文献
編集- 史跡説明板(久美浜町教育委員会・久美浜町文化財保護委員会、1980年設置)
- 「塚の鳴古墳」『京丹後市の考古資料 -京丹後市史資料編-』京丹後市、2010年。
関連項目
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、塚の鳴古墳に関するカテゴリがあります。