塙山キャバレー
概要
編集日立市の国道6号沿いに青いトタンに覆われたバラック作りの飲食店がはこがまえのような形に並んでいる。なお、キャバレーと称しているが、営業している店はキャバレーではなく居酒屋やスナックのような営業形態の店舗である[1][2]。
いつから存在するのか明確な資料は存在しないが、1960年頃に何もない野原にあった1軒のバラックから始まったとされる[3][4]。東日本大震災の頃には24軒の小さな飲食店が密集していた。基礎の打たれていない地面の上に乗っているだけの建物だったこともあり東日本大震災の被害はなかった[5]ものの、2014年(平成26年)1月に中央部にあったラーメン店より発生した火災によって中央部にあった5軒[注釈 1]が焼失した。しかし、2021年(令和3年)に新たに店を始めたママもおり、現在でも15軒ほどの小規模飲食店が営業を続けている[3][4][6]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 漢字の「区」の「メ」にあたる部分にあった5軒が焼失し、現在のはこがまえのような形になった。
出典
編集- ^ “<突撃イバラキ>塙山キャバレー 昭和の飲み屋街、今も”. 東京新聞デジタル (2023年2月7日). 2025年1月27日閲覧。
- ^ “『ザ・ノンフィクション』火事を起こした元ラーメン屋・のぼるは“孤独死”なのか?「酒と涙と女たちの歌2 ~塙山キャバレー物語~ 前編」”. サイゾーウーマン (2023年1月17日). 2025年1月27日閲覧。
- ^ a b 塩見なゆ (2020年7月3日). “常陸多賀「いづみ(塙山キャバレー)」 震災を乗越えた奇跡のバラックで浸る、土地のぬくもり。”. Syupo [シュポ]. 2025年1月27日閲覧。
- ^ a b “茨城No.1のディープな街「塙山キャバレー」で、老舗酒場『めぐみ』のママさんと過ごす至極の夜”. さんたつ by 散歩の達人 (2024年6月10日). 2025年1月27日閲覧。
- ^ ザ・ノンフィクション (2024年3月8日). “「私を捨てた母をさがして」20年ぶり再会に涙した母娘 人間模様が交差するバラック飲み屋街「塙山キャバレー」”. FNNプライムオンライン. 2025年1月27日閲覧。
- ^ “『ザ・ノンフィクション』やくざの妻だったママ、元ツッパリのマスターも「酒と涙と女たちの歌2 ~塙山キャバレー物語~ 後編」”. サイゾーウーマン (2023年1月24日). 2025年1月27日閲覧。