堀家虎造
明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家
堀家 虎造(ほりけ とらぞう、1864年12月18日(元治元年11月20日[1])- 1939年(昭和14年)5月13日[2][3])は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、香川県那珂郡榎井村長。
経歴
編集讃岐国那珂郡与北村(香川県[2]那珂郡与北村[3]、仲多度郡与北村を経て現善通寺市与北町)で、農業、養蚕業を営む堀家に生まれた[1]。漢学、英学、数学などを修めた[1][2][3]。農業を営む[2]。
1890年(明治23年)5月、榎井村長に就任し[1][2][3]、1898年(明治31年)3月まで在任[1]。1892年(明治25年)香川県会議員に選出され[1][2][3]、1898年3月まで務め[1]、その他、同常置委員、所得税調査委員も務めた[1][2][3]。
1898年3月、第5回衆議院議員総選挙(香川県第4区)で当選し[1][4]、以後、第8回総選挙まで再選され[5]、衆議院議員に通算3期在任した[2][3]。
国政選挙歴
編集- 第5回衆議院議員総選挙(香川県第4区、1898年3月、自由党)当選[4]
- 第6回衆議院議員総選挙(香川県第4区、1898年8月、憲政党)当選[4]
- 第7回衆議院議員総選挙(香川県郡部、1902年8月、立憲政友会)次点落選[5]
- 第8回衆議院議員総選挙(香川県郡部、1903年3月、立憲政友会)当選[5]
- 第9回衆議院議員総選挙(香川県郡部、1904年3月、無所属)次点落選[5]
- 第13回衆議院議員総選挙(香川県郡部、1917年4月、無所属)次点落選[6]