城正憲
経歴
編集出生から学生時代まで
編集愛知県出身[1]。愛知県立田村(現愛西市)に生まれた[2][3]。 愛知県立津島高等学校では弁論部で活躍した[2]。1966年、津島高校を卒業し(18回生)、上京して中央大学法学部法律学科に入学した[2]。当時は、学園紛争が続き中央大学もロックアウトになってまともに講義が受けられない4年間をすごすことになったが、その間に弁論部で活躍し、選挙活動のアルバイトに没頭した[2]。 ようやく司法試験を合格を目指すサークルに入って勉強を開始する。
検察官時代
編集大学卒業後5回目で司法試験に合格した[2]。この後、司法修習を受けた後、検事として検察庁に配属される。
東京地方検察庁、前橋地方検察庁、名古屋地方検察庁に勤務した後、1992年、法務省訟務局検事を最後に退官[1]。この間、ゼネコン汚職[4]やリクルート事件の捜査にも携わる。
弁護士として
編集退官した年に、弁護士登録し、城綜合法律事務所を開設[5]。
1997年に元頭取らが逮捕された北國銀行背任事件では、1審から元頭取の弁護を担当し[6]、2005年に被告に逆転無罪判決を勝ち取った[2][7][8]。 中京圏の企業との関わりも多く、大丸松坂屋百貨店、大林組、中部電力、荏原製作所、大垣共立銀行、津島市、愛西市などの顧問を務める[2]。
民主党愛知政経塾(ジャパンリーダーズカレッジ・JLC)の講師も務めた[9]。
2013年5月31日に、山口組系弘道会の風俗店グループによる愛知県警警部脅迫事件の実行犯に対する犯人隠匿の容疑で、愛知県警察本部に逮捕された[10]。公判中に愛知県弁護士会に退会届を提出し弁護士登録を抹消した。
2013年10月15日名古屋地裁前田巖裁判長は懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡した[11]。
出典・脚注
編集- ^ a b c “スタッフ紹介 弁護士 城 正憲”. 城綜合法律事務所. 2004年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g “創立111周年記念講演会パネラー紹介 18回生 城 正憲”. 2013年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月15日閲覧。
- ^ “創立110周年記念行事”. 津島高校57年卒同窓会. 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月15日閲覧。
- ^ 城は1992年に退官しているので、1993年に発覚したゼネコン汚職事件のことを指すものではない。
- ^ “当事務所の特徴と理念”. 城綜合法律事務所. 2009年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月15日閲覧。
- ^ “崩れた「金融側の論理」 北国銀行元頭取に有罪判決”. 朝日新聞(名古屋夕刊). (1999年1月19日) - 聞蔵IIビジュアルで閲覧。
- ^ 最高裁が差し戻し判決を下した際のコメントが見える記事で主任弁護人として紹介されている。“北国銀行元頭取「無罪確信している」 最高裁が差し戻し判決”. 朝日新聞(石川地方面). (2004年9月11日) - 聞蔵IIビジュアルで閲覧。
- ^ 差し戻し審が無罪判決を下した際のコメントが見える記事で主任弁護人として紹介されている。“北国銀元頭取に無罪判決 「長い戦い感慨無量」 高裁、共謀認めず”. 読売新聞(石川地方面). (2005年10月29日) - ヨミダス歴史館で閲覧。
- ^ “講師紹介(50音順)”. ジャパンリーダーズカレッジ. 2007年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月15日閲覧。
- ^ “「ヤメ検」弁護士ら逮捕 愛知の警部脅迫で犯人隠避容疑”. 産経新聞. オリジナルの2013年6月1日時点におけるアーカイブ。 2013年5月31日閲覧。
- ^ “「犯人隠避の弁護士に有罪」”. 産経ニュース. オリジナルの2013年12月6日時点におけるアーカイブ。 2014年3月11日閲覧。