城山館
概要
編集城山館は1887年(明治20年)、集会施設として有志の株主らにより建設され、政談演説会や各種団体会議や催事のほか、ビリヤード、将棋・囲碁など庶民の娯楽の場として活用され、また善光寺参詣の休息所としても利用された[1]。
株主らは城山館の使用料を運営費に充てていたが、運営は次第に厳しい状況となる。1898年(明治31年)6月、株主らにより藤井平五郎へ城山館の売却が決定されたが、その翌7月に長野市民より「城山館は市有財産にすべし」と意見が出され、長野市によって買収された[2]。
1949年(昭和24年)2月、隣接する蔵春閣を火元とする火災にて延焼。2階建倉庫、はなれ座敷、物置など一部を残して焼失。
立地
編集城山館が建てられた城山高台南部は埴科・更科・高井・水内四郡を一望できる絶景の地として古くから知られ、江戸時代後期には四宜楼という民間経営の茶屋が設けられていた[3]。 また、1878年(明治11年)9月 、明治天皇御巡幸の際には、城山高台南部に存在した毘沙門堂のあたりへ御休息所(佳郷館)が設けられた[4]。
沿革
編集出典
編集- ^ 宮澤, 政太「城山の城山館と蔵春閣」『市誌研究ながの』第31巻、2024年12月30日閲覧。
- ^ 明治31年7月9日 信濃毎日新聞 2面記事
- ^ 『箱清水郷土誌』(箱清水青年会/編)「第37 城山」/『善光寺街道名所図会』(名著出版)/『善光寺繁昌記』明治11年(1878)長尾無墨
- ^ 『箱清水郷土誌』(箱清水青年会/編)「第36 城山の今昔」
- ^ 「當時の御模樣と聖蹟の現在」『明治天皇の御巡幸について』長野市役所内 明治天皇聖徳記念会、1935年、19頁、doi:10.11501/1100365、2025年1月3日閲覧。
- ^ 『箱清水郷土誌』(箱清水青年会/編)「第98 明治天皇御巡幸記」