坪井勧吉
坪井 勧吉(つぼい かんきち、1884年(明治17年)1月8日[1] - 1970年(昭和45年)5月29日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、姫路市長。
経歴
編集愛知県出身。坪井政兵衛の長男として生まれる[3]。第五高等学校を卒業。1911年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し神奈川県属となる[3][4]。
以後、神奈川県警視、同理事官、秋田県警察部長、岡山県警察部長、香川県書記官・内務部長、山口県書記官・内務部長、山形県書記官・内務部長などを歴任[3]。
1929年7月、香川県知事に就任。塩江温泉鉄道の開通に尽力[5]。1931年6月、高知県知事に転任。同年12月18日に知事を依願免本官となり退官[3][4][6]。その後、1939年10月から1943年10月まで姫路市長を務めた。
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 姫路市役所『広報ひめじ』No.434、1970年6月30日。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
公職 | ||
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先代 蔵重久 |
姫路市長 12代:1939年 - 1943年 |
次代 原惣兵衛 |