坂本慶次郎
日本のシリアルキラー
坂本 慶次郎(さかもと けいじろう 慶応2年〈1866年〉?[1] - 1900年(明治33年)2月17日)は、明治時代の強盗犯。名は啓次郎、慶二郎と表記された文献もある[2]。
人物
編集俊足の持ち主で、1日に48里(188キロメートル)も逃げ延び、その犯行の行動範囲の広さから「稲妻小僧」「稲妻強盗」という異名を持つ。
幾度かの犯罪を重ねた後に逮捕。出獄後も犯行を重ねたため、再逮捕後の1888年(明治21年)に無期徒刑の判決を受けて北海道の樺戸集治監へ押送された。しかし数度の脱獄を企て、1895年(明治28年)9月に外役中に逃走。関東に舞い戻り、傷害や強盗、強姦を重ねつつ、奪った金で遊郭で豪遊するなどしていた。この間、伊藤博文の落胤を自称するなどしていた。
1899年(明治32年)2月14日に、埼玉県北葛飾郡幸手町にて逮捕。同年10月6日に水戸裁判所にて死刑宣告、1900年(明治33年)2月17日、市ヶ谷監獄支署にて絞首刑に処された。警察が把握している被害件数は45件、奪った金は700円余り。死者3人、重傷者13人。
坂本慶次郎に触れた関連作品
編集- 村松梢風「私の履歴書」日本経済新聞、1956年(昭和31年)8月9日 - 8月18日
- 漫画
- 小説
- 「赤い人」吉村昭 - 明治初期、北海道の樺戸集治監を描いた作品。その中に、服役囚として稲妻小僧が登場する。
脚注
編集注釈
編集参考文献
編集- 『稲妻強盗 坂本慶次郎 全(近世探偵実話集 第一)』金槙堂(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー所蔵)、1899年 。
- 望月茂『探偵十種(近世実話)』講談社、1913年。