坂本宇頭麻佐
坂本 宇頭麻佐(さかもと の うずまさ)は、奈良時代の貴族。氏は坂下とも記される。官位は従五位上・常陸守。勲等は勲六等。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 氏:坂下 |
官位 | 従五位上・常陸守 |
主君 | 聖武天皇 |
経歴
編集神亀元年(724年)3月に海道の蝦夷が反乱を起こして、陸奥大掾・佐伯児屋麻呂を殺害する[1]。宇頭麻佐は反乱鎮圧のために編成された持節大将軍・藤原宇合以下の遠征軍に従軍し、11月に帰還[2]。この功労により翌神亀2年(725年)正月に勲六等の叙勲を受け、賜田2町をあたえられた。
神亀5年(728年)中央豪族に対して初めて外位の五位の位階が与えられた際、宇頭麻佐は外従五位下に叙せられる。翌神亀6年(729年)長屋王の変後に行われた叙位にて内位の従五位下となった。天平5年(733年)従五位上に昇進する。
天平9年(737年)正月に陸奥按察使兼鎮守将軍・大野東人が多賀柵から出羽柵への直通連絡路を開通させるために、その経路にある男勝村の征討許可を朝廷に申請する。これに応じて持節大使に藤原麻呂、副使に宇頭麻佐と佐伯豊人が任じられ陸奥国へ派遣される。4月に蝦夷の動揺を抑えるため諸城柵の守備を固めた際には、宇頭麻佐は兵を率い陸奥玉造郡にある玉造柵の守備を担当した[3]。
官歴
編集『続日本紀』による。