境部王(さかいべおう/さかいべのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代皇族。名は坂合部王とも記される。知太政官事穂積親王の子[1]官位従四位下治部卿

境部王
続柄 穂積親王王子

全名 (さかいべ)
身位
出生 不詳
日本の旗 日本
死去 不詳(享年25歳)
日本の旗 日本
埋葬 日本の旗 日本
父親 穂積親王(第40代天武天皇の第5皇子
母親 不詳
役職 治部卿
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経歴

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穂積親王薨御した2年後の霊亀3年(717年)正月に、二世王としての蔭位を受け従四位下に直叙される[2]。同年10月には、安八万王酒部王御原王天武天皇裔の二世王とともに封戸を加増される[3]養老5年(721年治部卿に任官されている[2]。その後の消息は『六国史』に記載がなく、間もなく卒去したと思われる。『懐風藻』では享年25と記される。

治部卿在任中に作成した漢詩2首が『懐風藻』に[2]、和歌1首が『万葉集[1][2]に採録されている。『懐風藻』に採られた漢詩作品の内1首は長屋王邸での宴で詠まれたものであり、長屋王家木簡にもその名が現れるなど、長屋王との親交が窺われる。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ a b 万葉集』巻16 - 3833
  2. ^ a b c d 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典 第3巻』岩波書店、1984年4月、32頁。 
  3. ^ 続日本紀霊亀3年10月12日条

参考文献

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