坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師で現在は競馬評論家である。

坂口正大
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市
生年月日 (1941-02-19) 1941年2月19日(83歳)
所属団体 JRA
初免許年 1974年1976年開業)
引退日 2011年2月28日
重賞勝利 27勝
G1級勝利 9勝
経歴
所属 坂口正二/調教助手(1966 - 1974)→
栗東T.C.(1974 - 2011.2)
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同志社香里中学校・高等学校同志社大学卒業。父の坂口正二も元調教師でハマノパレード等を管理した。長男の坂口貴大は調教助手。元調教師の坂口正則従兄弟に当たる。

来歴

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1965年アメリカのカリフォルニア競馬・グリーンステッド厩舎でエキササイズボーイ(調教助手)となった後[1]1966年に父の坂口正二厩舎で調教助手となる。1974年に調教師免許を取得し、1976年に厩舎を開業。初出走は同年3月7日阪神競馬第10競走のレイクルーラーで落馬・競走中止という珍しい記録である。 初勝利は同年4月25日京都競馬第11競走で、初出走と同じレイクルーラーであった。延べ14頭目での達成。

1978年阪神大賞典をキャプテンナムラで制して重賞初勝利を挙げる。翌年の鳴尾記念を同馬で優勝して以降は重賞勝利から遠ざったが、1989年ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスをレガシーワイスで優勝し、実に10年ぶりの重賞勝ちを収めた。その後1995年菊花賞マヤノトップガンが勝ってGI競走初勝利を挙げると、これ以降はコンスタントに重賞馬を輩出した。

2000年高松宮記念では、1998年の牡馬クラシック路線の中心を担う1頭と目されながら無冠に終わり、1999年も重賞勝ちこそあったもののGIには手が届いていなかったキングヘイロー柴田善臣騎乗)が直線で一気に他馬を差し切って優勝。同馬はこれが11度目のGI挑戦であり、ようやくGI馬となったことに坂口は人目を憚らず涙を見せた。

騎手は2007年浜中俊が所属して以降彼を重用していたが、オープン競走などの有力馬には武豊福永祐一を騎乗させることが多かった。

2011年2月28日に定年のため引退。最後の管理馬の出走となった2月27日の阪神競馬第8競走では、浜中が騎乗するピサノプレミアムが1番人気で最後の勝利を挙げた。引き上げてくると坂口と浜中は涙を見せた[2]。引退後は日刊スポーツで競馬評論家として活動しているほか、同年5月頃から不定期に『KEIBA BEAT』にアドバイザーとして出演したのち、2012年から2022年12月25日まで同番組にレギュラー出演していた。

調教師成績

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通算成績 1着 2着 3着 騎乗回数 勝率 連対率
平地 662 679 674 7081 .093 .189
障害 24 25 27 205 .117 .239
686 704 701 7286 .094 .191
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1976年3月7日 1回阪神4日10R - レイクルーラー - - 落馬
初勝利 1976年4月25日 3回京都2日11R - レイクルーラー - - 1着
重賞初出走 1977年3月20日 1回阪神8日11R 阪神4歳牝馬特別 アスタニールセン 13頭 12 8着
重賞初勝利 1978年12月24日 5回阪神8日11R 阪神大賞典 キャプテンナムラ 12頭 2 1着
GI初出走 1978年4月9日 2回阪神6日10R 桜花賞 トウシンサフラン 21頭 19 17着
GI初勝利 1995年11月5日 8回京都2日10R 菊花賞 マヤノトップガン 18頭 3 1着

代表管理馬

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太字はGI競走

主な厩舎所属者

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※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

 
坂口(右)と浜中俊(2011年)

脚注

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  1. ^ 引退調教師情報 坂口 正大”. 日本中央競馬会. 2021年12月30日閲覧。
  2. ^ 坂口大師「孝行弟子やね」有終Vに師弟で涙 - スポニチアネックス 2011年2月28日付け記事

関連項目

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