土田耕平
土田 耕平(つちだ こうへい、1895年(明治28年)6月10日 - 1940年(昭和15年)8月12日)は、現在の長野県諏訪市出身の歌人、童話作家。
略歴
編集長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)に生まれる。18歳で両親を失う。1911年旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を中退、同郡玉川村立玉川小学校の代用教員となる。ここで島木赤彦に師事し『アララギ』に投稿、編集に携わる。1913年に上京し、1915年旧制東京中学校(現・東京高等学校)卒。1921年まで伊豆大島で病気療養、のち上諏訪へ帰り、長野県内各地を頻繁に転居。1924年信濃毎日新聞の歌壇撰者となる。
後半生の大半を不眠症の療養、短歌、童話の創作に費やした。1940年下伊那郡鼎町で心臓病で死去。戒名は智誉耕法幽玄居士[1]。
著書
編集脚注
編集参考
編集- 田島清 編『信州人物誌』1969
- 『日本近代文学大辞典』講談社、1984