土師水通
日本の歌人
土師 水通(はじ の みみち)は、奈良時代の官人・歌人。名は水道[1]・御道[2]とも記される。字は志婢麻呂(しびまろ)。姓は宿禰。官職は大舎人。
経歴
編集史書には登場しない人物だが、『万葉集』にいくつかの歌を残している。
一つは、水通が大舎人であった時に、同僚の巨勢豊人と、巨勢斐太島村の息子の顔が色黒なのをあざ笑った歌で、
ぬばたまの 斐太(ひだ)の大黒(おほぐろ) 見るごとに 巨勢(こせ)の小(を)黒し 思ほゆるかも ([ぬばたまの] 巨勢斐太の大黒を 見るたびに 巨勢豊人の小黒が思い出される)[3]
というもの。
同じ『万葉集』によると、天平2年1月13日(730年2月4日)に大伴旅人の邸宅での梅花の宴で、列席した全員が庭の梅を題材にして短歌を詠んでいるが、その中の1首
梅の花 折りかざしつつ 諸人(もろひと)の 遊ぶを見れば 都しぞ思ふ (梅の花を 折ってめいめいに髪にさし 人々の 遊ぶのを見ると 都のことを思い出す)[2]
を詠んだとされている。
ほかにも、「土師宿禰水通、筑紫より京(みやこ)に上るに、海路(うみつぢ)にして作る歌」として2首を詠んでおり[4]、その中からは都に残した妻への愛情が窺われる[5]。