土屋武則
土屋 武則(つちや たけのり、1927年(昭和2年)1月2日[1][2] - 2003年(平成15年)4月19日[2])は、昭和後期から平成初期の地方公務員、政治家。長野県中野市長。
来歴
編集長野県下高井郡中野町(現中野市[2][3])生まれ。1943年(昭和18年)12月、中野農商学校(現長野県中野立志館高等学校)農業科を卒業[1][2][3]。1955年(昭和30年)4月、中野市役所に入庁し[1][3]、1960年(同35年)農政課長、1968年(昭和43年)市民課長、1969年(昭和44年)総務課長などを歴任し[1][3]、1977年(昭和52年)11月、助役に就任した[1][2][3]。
1984年(昭和59年)2月、中野市長選挙で当選し[1][2][3]、1996年(平成8年)2月まで3期務めた[2]。在任中は千曲川、夜間瀬川の防災体制の整備や福祉政策に力を入れた[1]。その他、中野市土地開発公社専務理事などを務めた[1]。
脚注
編集参考文献
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