土屋俊三
土屋 俊三(つちや としぞう、1883年(明治16年)4月28日[1] - 1950年(昭和25年)11月6日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員、千葉県山武郡松尾町長などを務めた。旧姓・古川。
経歴
編集千葉県[2]山辺郡片貝村[3](山武郡片貝村、片貝町を経て、現在は九十九里町)で古川藤太郎、いつ の三男として生まれた[1]。小学校卒業後、千葉県教育会尋常小学校准教員講習科を経て、1906年(明治39年)千葉県師範学校を卒業した[1][2][4]。同年4月、松尾小学校訓導に就任[1][2]。1908年(明治41年)12月に武射郡松尾村(山武郡松尾村、松尾町を経て、現在は山武市)の土屋家の養子となった[1][3]。1912年(明治45年)小学校を退職し、家業の米穀肥料商を継承した[1][2][3]。
1933年(昭和8年)千葉県穀物肥料商業組合長に就任[1]。その他、千葉県肥料卸商組合連合会理事長、千葉県商工会連合会副会長、同会長などを務めた[1][4]。太平洋戦争から戦後にかけて千葉県食糧営団理事、同理事長、食糧配給公団千葉県支局長を務め、県民の食糧確保に尽力した[1][2][3][4]。
政界では、1928年(昭和3年)松尾町会議員に選出された[1]。1936年(昭和11年)松尾町長に就任し1期在任した[1][2][3]。1940年(昭和15年)1月に立憲政友会から出馬して千葉県会議員に当選し、1947年(昭和22年)4月まで在任し、参事会員(3期)、同補充員(1期)、政友会県会議員団幹事などを務めた[1][2][3][4]。
1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で千葉県地方区に自由党公認で出馬して、当選[5]。農業、食糧政策の分野での活躍が期待されていたが[1][3]、1期目在任中の同年11月に死去[2]。
著作
編集- 『農村の現状を熟視して』九十九新報社、1929年。
追悼集
編集- 『丹心深愛』教え子の会、1956年。[1]
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 『千葉県議会史:議員名鑑』千葉県議会、1985年。
- 松尾町史編さん委員会編『松尾町の歴史 下巻』松尾町、1986年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 石井暉二『光芒の人 千葉県人物事典2(政治編-国会議員)』ぎょうせい、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。