園基衡
園家17代。正二位・権大納言。出家。子に馴公丸(大乗院坊官、南院泰有の養子)、善学院(水戸上臈)、久照院(西丸上臈梅野井)、五百丸(出雲大社中家相続)
園 基衡(その もとひら、1721年8月30日(享保6年閏7月8日) - 1794年6月7日(寛政6年5月10日))は、江戸時代の公家。権大納言。参議。華道家。園家17当主。青山流第17代家元。初名は園基望。別名は園基持[1]。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 1721年8月30日(享保6年7月8日) |
死没 | 1794年6月7日(寛政6年5月10日) |
改名 | 園基望 |
別名 | 園基持 |
官位 | 正二位、権大納言、参議 |
氏族 | 園家 |
父母 |
父親:園基香 母親:高倉永重の娘 |
妻 | 高倉永房の娘 |
子 | 園基村、園基理、杲観(三条実顕猶子)、女子(千家俊秀室)、保香(高野隆古嗣)、女子(石野基棟室)、女子(六角光通室) |
生涯
編集権大納言・園基香の子として生まれる。母は高倉永重の娘。1759年(宝暦9年)に権大納言、1762年(宝暦12年)に正二位となる。青山流生花の家元で、「活花手引草」を手掛けた。1786年9月23日(天明6年9月2日)に出家した[2][3]。