國玉丸 (1940年)
國玉丸(くにたままる)[注釈 4]は、かつて玉井商船[注釈 5]が運行していた貨物船。日本陸軍により徴傭され、輸送任務中に撃沈された。
國玉丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨物船 |
クラス | 船級名なし |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 | 玉井商船 |
運用者 |
玉井商船 大日本帝国陸軍 |
建造所 | 播磨造船所相生工場 |
母港 | 東京港/東京都 |
姉妹船 |
こがね丸(日本海運) 乾進丸(乾汽船) 乾安丸(乾汽船) 他5隻 |
船級 | 帝国海事協会 |
信号符字 | JGWM |
IMO番号 | 48023(※船舶番号) |
建造期間 | 324日 |
就航期間 | 1,015日 |
経歴 | |
起工 | 1940年3月14日 |
進水 | 1940年11月22日 |
竣工 | 1941年1月31日 |
最後 | 1943年11月11日被雷沈没 |
要目 ([注釈 1]) | |
総トン数 | 3,127トン |
純トン数 | 1,794トン[1] |
載貨重量 | 4,802トン[2] |
全長 | 96,0m |
幅 | 14.0m |
深さ | 7.5m |
高さ |
21.33m(水面からマスト最上端まで) 7.92m(水面から船橋最上端まで)[注釈 2] |
喫水 | 6.39m[4] |
ボイラー | 播磨筒型石炭専燃円缶 2基 |
主機関 | 三連成レシプロ機関 1基 |
推進器 | 1軸 |
出力 | 2,201IHP |
最大速力 | 13.511ノット |
航海速力 | 11ノット[4][5] |
航続距離 | 11ノットで7,300海里[注釈 3] |
旅客定員 | 一等:6名[4] |
乗組員 | 45名[4] |
その他 | 兵装[5]:野砲、機銃2挺 |
端艇3隻[4] 1941年10月10日徴用。 |
船名は、玉井商船が運行した船としては唯一のもの。
船歴
編集國玉丸は玉井商船から播磨造船所に発注され、1940年(昭和15年)3月24日、播磨造船所相生工場で建造番号297番船として起工。11月22日、進水。1941年(昭和16年)1月31日、同所で竣工。
10月10日、國玉丸は日本陸軍に徴用され、陸軍輸送船番号926番が付与され運航[1]。
11月11日、在広州第二十三軍に対し、台湾から砂糖90トンを輸送。
1942年(昭和17年)4月2日、シンガポールで第二十三師団独立工兵第二十六連隊第二中隊第四小隊を乗船させ、モールメンへ輸送。
12月から第二十三軍杉浦支隊のアンボン、ミミカなど豪北方面への進出に従事。1943年(昭和18年)1月2日から5日にかけて、友鶴と初雁の護衛を受け、杉浦支隊をアンボンからアルー諸島へ輸送した[6]。
2月18日、スラバヤで第五師団歩兵第十一連隊の一部を乗船させる。19日、海軍徴傭船台東丸(大阪商船、4,466トン)、桑山丸(山下汽船、5,724トン)他と共に船団を編制し、第1号駆潜艇の護衛を受け、アンボンへ向けスラバヤ発。21日、船団はサンゲアン島北5カイリの地点でアメリカ潜水艦スレッシャーの攻撃を受け、國玉丸の右舷に魚雷1本命中。國玉丸の右舷正横800mに位置していた桑山丸も被雷し、こちらは航行不能となった後、翌22日に再度の雷撃を受けて船体をへし折られて沈没した。國玉丸は桑山丸の遭難者368名を収容し、アンボンへ向かった。
11月4日、第4号掃海特務艇の護衛を受け、バボへ向けアンボン発。6日、バボ着。10日、アンボンへ向けバボ発。11日、ケラン水道北口[注釈 6]でアメリカ潜水艦カペリンの攻撃を受け、船尾に被雷し沈没した。沈没の際、便乗者5名、船員4名が戦死した。生存者90名は、第4号掃海特務艇に収容された。同日解傭。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C08050059300『船舶名簿 (信号符字の部.船名の部) (1)』。
- 陸軍省
- 昭和16年12月12日付 臺灣軍 臺軍作第548号 『波集団に対する兵站業務援助実施の件報告』。
- 独立工兵第二十六連隊第二中隊 『第二十三師団「マグエ」「エナンジョン」攻略水路戦闘詳報』。
- 昭和18年2月21日付 歩兵第十一連隊 『輸送船桑山丸会敵戦闘詳報』。
- 海軍省
- 第二砲艦隊戦時日誌。
- 第二十三特別根拠地隊戦時日誌。
- 第二十四特別根拠地隊戦時日誌。
- 逓信省、運輸通信省
- 『昭和十七年版 日本汽船名簿』。
- 海務院 『昭和十七年度 日本船名録』。
- 海運総局 『昭和十八年度 日本船名録』。
- 防衛庁防衛研修所 戦史室、『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』、朝雲新聞社
- 『石川島播磨重工業社史 沿革・資料編』、石川島播磨重工業、1992年。
- 『戦没した船と海員の資料館』[1]、全日本海員組合。
- 『喪失船舶一覧表』、船舶運営会。
- 『播磨50年史』、播磨造船所、1960年。