国民革命軍戦闘序列 (1938年)
国民革命軍戦闘序列 (1938年)は1938年1月に発布された中華民国国民革命軍の戦闘序列である。この戦闘序列は日中戦争勃発後、中国を統治した中華民国政府が「持久抗戦、武漢を強固な核心とする」ために中国全域を対象として編成したものであり、戦略目的の「東は津浦を保ち、西は道清を守る[1]」によったものである。別に政治組織では、国民政府軍事委員会を戦時政府の実質的統治機構とし、国軍を統率する委員長が国民政府主席に代わり中国を実際に領導する「軍事委員会組織大綱」方式により、武漢国民政府の統治組織に修正が行なわれた。
1938年11月中旬、中国軍が臨時首都武漢で組織した武漢防衛戦(中国側では「武漢保衛戦」といい、日本側では「武漢作戦」という)で敗れ、加えて華南の戦場の重要拠点広州もまた極めて危険となり、ここに至って中華民国政府は重慶に再度遷都することとなった。この戦略の変更が度重なり、兵士の損耗が多くなったため、国民革命軍の戦闘序列は同年年末から翌年初めに大幅に変更された。この変更と同様に、日中戦争第1期の第2及び第3段階も正式に終わり、中国の情勢もまた重慶を根拠地とする日中戦争の第2期に入った。
兵力と軍費
編集1938年1月の中国国民革命軍の戦闘序列の編成では、整備訓練を経た部隊も未整備部隊も合わせて、合計210個歩兵師(師団相当)、35個歩兵旅(旅団相当)、11個騎兵師、6個騎兵旅、18個砲兵団(連隊相当)、8個砲兵営(大隊相当)であった。1937年中の兵力の概算は、陸軍現役兵員は170万人余りに達した。この中には1937年の実補充30万人及び1938年の実補充1,713,780人は含まれない。
軍費については、1938年国民革命軍の軍費にかかる歳出は約14億6千2百万法幣となり、通常の軍務費(兵士への給与)4億2千万法幣、国防建設費(武器)3億1千万法幣及びその他の軍事費用7億2千万法幣を含むもので、この歳出は同年の中国の国家総歳出22億1千万法幣の約61%以上になった[2]。
戦闘序列表
編集国民政府軍事委員会
編集第1戦区
編集第2戦区
編集第3戦区
編集第4戦区
編集第5戦区
編集第8戦区
編集その他
編集各大戦区を除き、戦闘序列はさらに以下のように空軍、海軍及びその他の軍事編成単位の部分を含んだ。
参考文献
編集- 何応欽『日軍侵華八年抗戦史』(1982年、台北、黎明文化事業公司)
- 張朋園、沈懐玉合編『国民政府職官年表』(1987年、台北、中央研究院近代史研究所)
- 郭廷以『中華民国史事日誌』(1984年、台北、中央研究院近代史研究所)