国本 哲秀(くにもと てつひで、1943年5月22日[2][3] - )は、日本の実業家馬主在日朝鮮人であり、本名は李 哲秀[1]

くにもと てつひで

国本 哲秀
第90回東京優駿(日本ダービー)パドック
(2023年5月28日)
生誕 李哲秀[1]
(1943-05-22) 1943年5月22日(81歳)[2][3][1]
日本の旗 日本 埼玉県[1]
住居 神奈川県大磯町[3]東大磯[4](2017年時点)
職業
肩書き
配偶者 国本 好子[3]
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広告企画などを手掛ける株式会社シナテック代表取締役会長を務める。

馬主活動

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国本の勝負服を着用したミルコ・デムーロ

日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は赤、白一本輪、白袖、冠名には在住する神奈川県湘南地区より[3]「ショウナン」を用いる。妻の好子も馬主である[3]が、2004年に名義を「有限会社湘南」と法人化している。個人名義、現在ともに勝負服の柄は赤、白一本輪、白袖赤一本輪で、冠名は哲秀と同様「ショウナン」を用いる。ちなみに、哲秀の勝負服色はショウナンカンプなどを管理した調教師大久保洋吉の家系に長年伝わるもので、洋吉が「いずれ自分が育てた馬主か、自分がこう思ったときの勝負服にさせよう」と思っていたところ、それが哲秀になったのだという[2]

馬名のこだわりとして、1993年産馬から冠名「ショウナン」の後に付く語はすべて母音「あ」から始まる単語としている[注 1]。その所以は、大久保に「アの段ではじまる名前を付けなさい」と言われたことで[2]、国本は5ヶ国語の辞典を購入したり[2]、趣味の海外旅行の際には印象に残った地名などをメモする[3]などしてネーミングに役立てている。競馬情報サイトのnetkeibaにおいて馬名を募集した際も、冠名以下をア段で始まる言葉にするよう指定している[7]

馬主となったきっかけは、当時ラジオたんぱアナウンサーであった長岡一也に馬の所有を持ちかけられたこと[8]。なお、大久保との出会いも長岡の紹介によるものである[2]

東日本馬主協議会の会長理事[9]や東京馬主協会会長[10]、日本馬主協会連合会副会長のほか、2008年9月からは日本中央競馬会運営審議会委員も務めた[9][10][11]

来歴

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主な所有馬

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GI級競走優勝馬

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重賞競走優勝馬

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その他の所有馬

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有限会社湘南名義の所有馬

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脚注

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注釈

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  1. ^ ショウナンクイーン(1995年産)、ショウナンブラーボ(2000年産)、ショウナンドライブ(2001年産)など例外もある。

出典

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  1. ^ a b c d 『官報』昭和46年(1966年)5月12日号
  2. ^ a b c d e f g h 「杉本清の競馬談義237」『優駿』、中央競馬ピーアール・センター、2005年2月、66-69頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i 『週刊競馬ブック』2002年6月2日号 179-181頁
  4. ^ 広報おおいそ 平成29年1月 P4 町政の発展に尽力 町条例表彰者が決定 (PDF)
  5. ^ 会社概要”. シナテック. 2023年3月6日閲覧。
  6. ^ 役員・歴代会長紹介”. 日本馬主協会連合会. 2023年3月6日閲覧。
  7. ^ 特別企画 馬主歴28年"ショウナン" 熱い執念が切り拓いた道”. netkeiba. ネットドリーマーズ. 2023年3月6日閲覧。
  8. ^ a b c d 【特別企画】ショウナン国本哲秀氏(1)『必ずしも億の馬が走るわけではない』”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2020年7月13日). 2023年3月6日閲覧。
  9. ^ a b 平成20事業年度 事業報告書” (PDF). 経営に関する情報. 日本中央競馬会. p. 56 (2009年). 2012年1月7日閲覧。 “10. 運営審議会の概要(平成20 事業年度末現在)”
  10. ^ a b 平成22事業年度 事業報告書” (PDF). 日本中央競馬会. p. 16 (2011年). 2012年1月7日閲覧。 “(1)各委員の氏名、任期及び職名等”
  11. ^ 平成21事業年度 事業報告書” (PDF). 経営に関する情報. 日本中央競馬会. p. 52 (2010年). 2012年1月7日閲覧。 “10. 運営審議会の概要(平成21 事業年度末現在)”

参考文献

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外部リンク

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