国府谷 盛純(こうのだに もりすみ)は、江戸時代の武士。徳大寺家出身。有栖川宮の諸大夫[1]。
『地下家伝』によると、徳大寺公胤には実胤という子がおり、その子・実治の5代孫が盛純の父である盛栄にあたるという[1]。
享保13年(1728年)6月14日に生まれた。明和6年(1769年)5月2日には侍として従六位下・右兵衛少尉に叙任された。翌年には辞官し位記を返上した上で、正六位下・壱岐守に叙任された。天明3年(1783年)7月13日に54歳で死去した[1]。