国上寺
国上寺(こくじょうじ)は、新潟県燕市にある真言宗豊山派の寺院。
国上寺 | |
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所在地 | 新潟県燕市国上1407 |
位置 | 北緯37度39分57.2秒 東経138度48分45.8秒 / 北緯37.665889度 東経138.812722度座標: 北緯37度39分57.2秒 東経138度48分45.8秒 / 北緯37.665889度 東経138.812722度 |
山号 | 雲高山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 和銅2年(709年) |
開山 | 泰澄 |
中興年 | 江戸時代中期 |
中興 | 萬元 |
文化財 | 木造千手観音菩薩立像(新潟県指定文化財)、他 |
公式サイト | 国上寺公式サイト|国上寺は良寛ゆかりの五合庵、上杉謙信の祈願寺です。|新潟の水子供養・永代供養 |
法人番号 | 6110005006265 |
歴史
編集709年(和銅2年)、泰澄によって開山された。弥彦神社から神託があり、泰澄が創建したものという。泰澄は修験道の僧侶であり、修験道の寺院であったが、その後、法相宗、天台宗、真言宗醍醐派へと変わり、最終的には真言宗豊山派となっている[1][2]。
平安時代末期、源義経が奥州藤原氏を頼って奥州に逃れる途中、当寺に一時身を隠していたという伝説がある。戦国時代、上杉謙信が七堂伽藍として整備したが、後に兵火で焼失している。江戸時代中期になり萬元によって中興された[1]。
五合庵
編集当寺には「五合庵」と呼ばれる草庵がある。この庵は当寺を再建した萬元の住居として建てられたものである。名称の由来は、萬元が1日5合の米を寺より支給されていたことによる。後に良寛が移り住んだことで有名になった[1][3]。
文化財
編集- 木造千手観音菩薩立像(新潟県指定文化財 平成23年3月22日指定)[4]
- 良寛修業地(新潟県指定史跡 平成23年3月22日指定)[4]
- 国上山のブナ林(新潟県指定天然記念物 平成5年3月30日指定)[4]
- 湖月抄(燕市指定文化財 昭和52年9月27日指定)[5]
- 紺紙金泥の写経(燕市指定文化財 昭和52年9月27日指定)[5]
- 国上寺本堂附境内地(燕市指定文化財 昭和53年5月15日指定)[5]
- 鰐口(燕市指定文化財 昭和53年5月15日指定)[5]
- 梵鐘(燕市指定文化財 昭和54年7月30日指定)[5]
- 宝篋印陀羅尼塔(燕市指定文化財 昭和59年3月27日指定)[5]
- 珠洲系陶質土器(燕市指定文化財 昭和59年3月27日指定)[5]
- 萬元上人墓碑(燕市指定文化財 昭和59年3月27日指定)[5]
- 夕ぐれの岡(燕市指定史跡 昭和59年3月27日指定)[5]
交通アクセス
編集- 粟生津駅より車15分。
脚注
編集参考文献
編集- 新潟県の歴史散歩編集委員会 編『新潟県の歴史散歩(歴史散歩15)』山川出版社、2009年