嗒然[1](とうぜん、本姓・八幡[2]1796年寛政8年) - 1862年1月5日文久元年12月6日[1])は、日本僧侶画家

人物

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伯耆国会見郡皆生村(現・鳥取県米子市)の漁家に生まれる[2]。11歳の時に大山寺に入り、台腎に師事し、剃髪して名を台貫と改める[1]。詩文書画に堪能である[1]。「千枚書き」と呼ばれるほど数多くの書画をこの世に残す。

「朝比奈三郎、曽我五郎の草摺りを曳く図」を描いて貴布禰神社に奉納する[1]。晩年は大山寺を出て、山麓八幡に草庵を結び、迎嶽観主人太虚と号し、専ら風流三昧の境涯に浸り、十神山から発掘の古銅印を落款に用いる[1]。文久元年12月6日に66歳で寂滅する[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『米子自治史』1024頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月1日閲覧。
  2. ^ a b 『郷土文化展覧会展観目録』36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月1日閲覧。

参考文献

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  • 鳥取県立鳥取図書館等編『郷土文化展覧会展観目録』鳥取県立鳥取図書館ほか、1933年。
  • 米子市編『米子自治史』米子市、1939年。