喜安健次郎
日本の鉄道官僚
喜安 健次郎(きやす けんじろう、1885年(明治18年)11月4日[1] – 1947年(昭和22年)8月29日[2])は、日本の鉄道官僚。帝都高速度交通営団総裁。
経歴
編集愛媛県伊予郡岡田村(現在の松前町)出身[1]。1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した[3]。鉄道院副参事、同総裁秘書、同参事、鉄道省参事官、大臣官房文書課長、鉄道書記官、鉄道監察官、大臣官房法規課長、監督局長を歴任した[3][4]。1934年(昭和9年)、鉄道次官に就任し、1940年(昭和15年)まで在任した。
著書
編集- 『鉄道営業法(上・下)』(鉄道青年会出版部、1921年)
- 『鉄道行政』(巌松堂、1923年)
- 『運送営業』(巌松堂、1924年)
- 『運送行政』(巌松堂、1925年)
- 『商行為法』(巌松堂、1929年)
- 『改正鉄道営業法』(鉄道新聞社出版部、1930年)
- 『鉄道運送法』(鉄道教育会、1941年)
脚注
編集- ^ a b 愛媛県生涯学習センター. “データベース「えひめの記憶」- 愛媛県史 人物” (日本語). 2016年10月1日閲覧。
- ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、87頁。
- ^ a b c 人事興信録 1943.
- ^ 大衆人事録 1930.
参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。