喜佐姫
江戸時代初期の女性。結城秀康の長女?次女?。毛利秀就の正室。子に松寿丸(-1623.3.7、長男、早世、松雲院殿清秀宗珪童子)、和泉守(-1627.7.19、次男、早世、宮伝院実叟了心大童子)、大吉
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
喜佐姫(きさひめ、慶長2年12月14日(1598年1月21日) - 明暦元年6月25日(1655年7月28日))は、江戸時代初期の女性。北ノ庄藩主結城秀康の次女。長州藩主毛利秀就の正室。綱広、登佐(松平光長正室)、竹(鷹司房輔室)の母。
生涯
編集慶長2年(1598年)、大坂城にて生まれる。母は三谷氏。慶長13年(1608年)6月16日、徳川秀忠の養女となった。慶長15年(1610年)に毛利秀就に嫁ぎ、4男3女をもうけたが、そのうち4人は早世した。慶安2年(1649年)4月に落飾し、龍昌院(龍照院)と号した。明暦元年(1655年)に死去した。享年59。天徳寺に葬られた。戒名は龍照院長誉光山秋英大禅定尼。
参考文献
編集- 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)続群書所類聚刊行会
- 寛政重修諸家譜