善入寺島(ぜんにゅうじとう)は、徳島県阿波市吉野川市にある吉野川中州。古くは粟島と呼ばれている。四国のみずべ八十八カ所選定。

善入寺島
所在地 日本の旗 日本 徳島県阿波市吉野川市
所在海域 吉野川
座標 北緯34度4分18.1秒 東経134度18分17.1秒 / 北緯34.071694度 東経134.304750度 / 34.071694; 134.304750座標: 北緯34度4分18.1秒 東経134度18分17.1秒 / 北緯34.071694度 東経134.304750度 / 34.071694; 134.304750
面積 5 km²
善入寺島の位置(徳島県内)
善入寺島
     
プロジェクト 地形
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善入寺島周辺の空中写真。2014年4月24日撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
善入寺島のひまわり

地理

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吉野川にある日本最大の川中島で、吉野川河口から約30km付近にあり、広さは約500ヘクタールである[1]。島内には阿波市市場地区吉野川市川島地区の境界がある[2]

1907年(明治40年)に開始された吉野川の第一期改修工事によって全島買収され、1915年大正4年)より遊水池として整備された[3]。それ以前は約506戸、3,000人が島内に住んでいた。島の大きさは東西6 km、南北1.2 km、面積は500 ha。当時は阿波郡粟島村・宮の島村などいくつかの村が存在し、学校が2校と浮島八幡宮[4]などの神社が存在した。現在でも当時の島民の生活がわかる史跡が数多く残っている[要出典]

現在も耕作が長年に渡り行われ、優良農地として活用されているとともに、徳島県の主要な野菜産地として位置づけられており、冬はダイコンハクサイキャベツニンジンレタス等、夏は水稲カボチャスイカ・キュウリ・ナス等が作られている[5]。また近年は、多面的機能事業により景観作物として夏はヒマワリ、秋にはコスモスが咲き乱れ、徳島県における観光名所として定着している[6][7]島内には、「空海の路」として四国遍路第10番札所切幡寺より第11番札所藤井寺までの路が残っている。[要出典]

橋梁

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  • 善入寺島に架かる橋は計6橋で、すべて潜水橋
道路 完成
大野島橋 徳島県道237号切幡川島線 1952年
川島橋 徳島県道2号津田川島線 1963年
千田橋 徳島県道2号津田川島線 1955年
学島橋 徳島県道125号市場学停車場線 1955年
学北橋 徳島県道125号市場学停車場線 1961年
香美橋 徳島県道125号市場学停車場線 1952年

交通

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 福家司 (2020年7月8日). “徳島)吉野川の中州、善入寺島でヒマワリ見頃”. 朝日新聞. 2021年9月19日閲覧。 “善入寺島は約500ヘクタール。吉野川善入寺土地改良区の組合員約440人が主に野菜を栽培している。”
  2. ^ 善入寺島のひまわり”. 阿波ナビ. 2017年1月13日閲覧。
  3. ^ 第一章河川改修工事・第三吉野川改修工事」『昭和二年度直轄工事年報』内務省土木局、1929年、46-47頁https://books.google.co.jp/books?id=HINuu5-n6IYC2021年9月19日閲覧。「『上流水災の中心地たる善入寺島は之を買収して河川敷に編入し障害物を取払ひて遊水池の作用を完全ならしめ沿岸並に下流の水災を軽減するの策を採れり』『本工事は明治四十年度の着工にして(中略)爾来概して順調なる進捗を続け大正四年末引続き上流善入寺島の掘削を始め』」 
  4. ^ 後に川島神社に合祀。
  5. ^ 吉野川の中洲、善入寺島の面積”. とくしま消費者交流ひろば. 2017年1月13日閲覧。
  6. ^ 善入寺島のひまわり”. 徳島県観光情報サイト阿波ナビ. 2024年8月10日閲覧。
  7. ^ 善入寺島のコスモス”. 徳島県観光情報サイト阿波ナビ. 2024年8月10日閲覧。

外部リンク

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