唐津市立北波多小学校

佐賀県唐津市にある小学校

唐津市立北波多小学校(からつしりつ きたはたしょうがっこう)とは、佐賀県唐津市北波多徳須恵(とくすえ)にある市立小学校

唐津市立北波多小学校
地図北緯33度22分40.4秒 東経129度57分04.3秒 / 北緯33.377889度 東経129.951194度 / 33.377889; 129.951194座標: 北緯33度22分40.4秒 東経129度57分04.3秒 / 北緯33.377889度 東経129.951194度 / 33.377889; 129.951194
過去の名称 徳須恵小学校
一番学区徳須恵小学校
尋常高等波多小学校
徳須恵尋常高等小学校
波多尋常高等小学校
北波多尋常高等小学校
北波多国民学校
北波多村立北波多小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 唐津市
併合学校 志気分校
成淵分校
行合野尋常小学校
上平野尋常小学校
芳谷尋常高等小学校
芳谷分教場
行合野分校
上平野分校
設立年月日 1875年明治8年)6月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B141220200213 ウィキデータを編集
所在地 847-1201
佐賀県唐津市北波多徳須恵416番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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歴史
1875年明治8年)に「徳須恵小学校」として創立。数回の改編・改称を経て、現校名になったのは2005年平成17年)。2025年令和7年)には創立150周年を迎える。
校章
中央に「小」の文字を置いている。
校歌
1962年(昭和37年)に制定。作詞は田崎正大、作曲は吉野貢による。
校区
住所表記で「唐津市北波多」が入る全域。中学校区は唐津市立北波多中学校[1]

沿革

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  • 1875年明治8年)6月 - 民家を校舎として「徳須恵小学校」が創立。下等小学科を設置。初代校長は堤静雄。
  • 1880年(明治13年)- 徳須恵前田に校舎を建築。
  • 1883年(明治16年)- 教育令の施行により、初等科と中等科を教授。
  • 1884年(明治17年)- 「一番学区 徳須恵小学校」に改称。成淵・行合野・志気に分校を設置。
  • 1888年(明治21年)- 「尋常高等波多小学校」に改称。尋常科(4年制)と高等科(4年制)を教授。
  • 1892年(明治25年)- 「徳須恵尋常高等小学校」に改称。志気分校と成淵分校を廃止。行合野分校と上平野分校は、それぞれ行合野尋常小学校・上平野尋常小学校として分離・独立。
  • 1896年(明治29年)- 「波多尋常高等小学校」に改称。行合野と上平野の尋常小学校を統合し、行合野分教場・上平野分教場とする。
  • 1901年(明治34年)- 「北波多尋常高等小学校」に改称。私立芳谷炭鉱小学校[2]を統合の上、芳谷分教場とする。
  • 1903年(明治36年)- 芳谷分教場が分離の上、芳谷尋常高等小学校[2]として独立。
  • 1907年(明治40年)- 徳須恵瀬戸口(現在地)に敷地を造成し、校舎を増築。改正小学校令により尋常科修業年限(義務教育年限)が4年から6年に延長される点、および炭鉱業の隆盛により、収容児童数が増加したため、校舎の増築が急務であった。校舎完成までの間、徳須恵神社と田中神社の社殿に仮分教場を設置。
  • 1909年(明治42年)- 新校舎が完成したため、仮分教場を廃止。
  • 1913年大正2年)4月 - 高等科3年および女子部補習科を設置。
  • 1916年(大正5年)4月 - 北波多実業補習学校を併設。
  • 1924年(大正13年)3月 - 女子部補習科を実業補習学校専修科とする。
  • 1926年(大正15年)7月 - 実業補習学校が青年訓練所充当となる。
  • 1927年(昭和2年)- 実業補習学校女子部を北波多佐斉家女学校とする。
  • 1928年(昭和3年)- 実業補習学校が青年訓練所充当北波多公民学校に改称。講堂が完成。
  • 1935年(昭和10年)7月 - 青年学校令の施行により、北波多公民学校が北波多村立実業青年学校に改称。
  • 1936年(昭和11年)4月 - 芳谷尋常高等小学校を統合の上、芳谷分教場[2]とする。
  • 1937年(昭和12年)- 唐津炭鉱創業により、人口が激増したため、二部授業を実施。
  • 1940年(昭和15年)- 校舎を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「北波多国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。(初等科6年・高等科2年・高等科特修科1年)
  • 1942年(昭和17年)3月31日 - 芳谷分教場[2]を廃止。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
    • 国民学校初等科は「北波多村立北波多小学校」に改組される。
    • 国民学校高等科は青年学校普通科と改組され、新制中学校北波多村立北波多中学校」が発足(当初小学校に併設)。
  • 1953年(昭和28年)- 中学校の独立校舎が完成し、併設を解消。
  • 1956年(昭和31年)
    • 5月 - 唐津炭鉱閉山のため、児童360名が転出。
    • 9月 - 唐津炭鉱が再開。
  • 1962年(昭和37年)11月 - 新校歌を制定。
  • 1963年(昭和38年)3月 - 唐津炭鉱が完全に閉山。
  • 1965年(昭和40年)2月 - 給食センターの完成により、完全給食を開始。
  • 1968年(昭和43年)3月31日 - 行合野分校を廃止。
  • 1969年(昭和44年)3月31日 - 上平野分校を廃止。
  • 1973年(昭和48年)3月 - 鉄筋コンクリート造3階建新校舎が完成。
  • 1974年(昭和49年)8月 - 南新管理棟が完成。
  • 1975年(昭和50年)- 開校100年記念式典を挙行。プールが完成。
  • 1989年(平成元年)8月 - 校舎の大規模改修(一次)を実施。
  • 1990年(平成2年)8月 - 校舎の大規模改修(二次)を実施。
  • 1992年(平成4年)12月 - 体育館の大規模改修を実施。
  • 2001年(平成13年)9月 - パソコン室を設置。
  • 2005年(平成17年)1月1日 - 市町合併により、「唐津市立北波多小学校」(現校名)に改称。
  • 2010年(平成22年)8月 - 体育館の耐震化工事を実施。
  • 2011年(平成23年)8月 - 校舎の耐震化工事を実施。

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 北波多社会体育館
  • 白蓮会館北波多道場
  • 唐津市役所 北波多市民センター(旧・北波多支所、旧・北波多村役場)
  • 唐津警察署徳須恵警察官駐在所
  • 唐津市立北波多中学校
  • 徳須恵郵便局
  • 垂玉観音 圓通山常安禅寺
  • 八坂神社
  • 波多川公園
  • 徳須恵川

参考資料

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  • 「北波多郷土誌」(北波多郷土誌刊行会, 1943年(昭和18年)発行)p.181~

脚注

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  1. ^ 唐津市立小中学校通学区域 - 唐津市ウェブサイト
  2. ^ a b c d 芳谷炭鉱の隆盛により、労働者数も増加。それに伴い、その子女の数も増加し、1899年(明治32年)に炭鉱会社によって私立の小学校が設立された。1942年(昭和17年)の閉校までの間、多い時で在籍児童数が2000名を超えたこともあった(最大学級数34)。

関連項目

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外部リンク

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