咸鏡北道 (大韓民国)
大韓民国が設置するも実効支配は行えていない道の一つ
咸鏡北道(ハムギョンブクト、かんきょうほくどう)は、朝鮮半島北東部に位置する大韓民国の行政区(以北五道)。道庁所在地は清津市。同国最北端に位置する道である。
略称: 咸北(함북) | |
位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 함경북도 |
漢字: | 咸鏡北道 |
日本語読み仮名: | かんきょうほくどう |
片仮名転写: | ハムギョンブク=ド |
ローマ字転写 (RR): | Hamgyeongbuk-do |
統計(1945年) | |
面積: | 20,345 km2 |
総人口: | 1,246,869 人 |
人口密度: | 61.2 人/km2 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
下位行政区画: | 3市11郡 |
現在、全域が朝鮮民主主義人民共和国による支配下にあり、大韓民国政府による実効支配は及んでいない。朝鮮民主主義人民共和国の行政区画では咸鏡北道・羅先特別市と両江道の一部に相当する。
地理
編集北は豆満江を隔てて、中華人民共和国とロシア連邦と国境を接し、西は咸鏡南道と接する。東は日本海である。
山が多く、平地が少ない。
歴史
編集1896年 咸鏡道を咸鏡北道と咸鏡南道に分割した。
1910年 日韓併合条約の調印によって、大韓帝国咸鏡北道から大日本帝國咸鏡北道となる。
1928年 朝鮮総督府鉄道咸鏡本線全通。
1937年 朝鮮放送協会清津放送局が第一放送を開始(第二放送の開始は1941年)。
1943年 朝鮮放送協会城津放送局が第一放送を開始(第二放送はなかった)。
1945年8月14日 北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除することをトルーマンがソ連に通告。ソ連はこれに合意(一般命令第一号)。
1945年8月15日 玉音放送を流し、旧日本軍の敗戦、朝鮮、台湾。南洋諸島南樺太及び千島列島の統治が終了。
1945年9月2日 南北分割統治正式に開始。
咸鏡北道の自治体
編集市
編集- 清津市 - 청진시【淸津市】Cheongjin-si (チョンジン=シ、咸鏡北道道庁所在地)
- 城津市 - 성진시【城津市】Seongjin-si (ソンジン=シ)
- 羅津市 - 나진시【羅津市】Najin-si (ナジン=シ)
郡
編集- 鏡城郡 - 경성군【鏡城郡】Gyeongseong-gun (キョンソン=グン)
- 茂山郡 - 무산군【茂山郡】Musan-gun (ムサン=グン)
- 吉州郡 - 길주군【吉州郡】Gilju-gun (キルチュ=グン)
- 鶴城郡 - 학성군【鶴城郡】Hakseong-gun (ハクソン=グン)
- 明川郡 - 명천군【明川郡】Myeongcheon-gun (ミョンチョン=グン)
- 穏城郡 - 온성군【穩城郡】Onseong-gun (オンソン=グン)
- 会寧郡 - 회령군【會寧郡】Hoeryeong-gun (フェリョン=グン)
- 慶源郡 - 경원군【慶源郡】Gyeongwon-gun (キョンウォン=グン)
- 慶興郡 - 경흥군【慶興郡】Gyeongheung-gun (キョンフン=グン)
- 鍾城郡 - 종성군【鍾城郡】Jongseong-gun (チョンソン=グン)
- 富寧郡 - 부령군【富寧郡】Buryeong-gun (プリョン=グン)