和田淑弘
日本の実業家
和田 淑弘(わだ よしひろ、1931年9月13日[1] - 2015年4月7日)は日本の実業家。マツダ社長や日本自動車工業会副会長、中国経済連合会副会長等を務めた。コロンビア共和国国家功労大十字勲章。
来歴・人物
編集島根県出身。1955年一橋大学商学部を卒業し、住友銀行(のちの三井住友銀行)入行[2]。審査畑を歩む。住友銀行取締役を経て、1983年、東洋工業(のちのマツダ)顧問就任[2]。専務を経て、1985年マツダ副社長[2]。なお、和田が副社長を務めていた際、和田の役員秘書を務めていた岸田裕子は、内閣総理大臣夫人である。
1991年に社長に就任[3]、原価低減活動を推進[4]するとともに、フォード・モーターとの提携強化を進めた[5]。またボンゴフレンディを発売、カペラセダンを復活させた。
1992年中国経済連合会副会長[6]。1994年コロンビア共和国国家功労大十字勲章受章[7]。1996年マツダ会長、1997年取締役相談役、1998年退任。
2015年4月7日、心不全のため死去[8]。83歳没。
略歴
編集脚注
編集- ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.656
- ^ a b c 池原照雄 (2015年4月13日). “マツダの和田淑弘元社長が死去”. レスポンス (イード) 2015年4月22日閲覧。
- ^ “和田淑弘氏が死去 元マツダ社長”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2015年4月13日) 2015年4月22日閲覧。
- ^ 1995/12/18, 日経産業新聞
- ^ 2003/8/29 , 中国新聞
- ^ 「歴代役員(会長・副会長・専務理事) ※役職は現在または退任時のもの」中国経済連合会
- ^ 1994/3/19, 日経産業新聞
- ^ 訃報:和田淑弘さん83歳=元マツダ社長 (毎日新聞 2015年4月13日) - ウェイバックマシン(2015年4月14日アーカイブ分)
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