周阿(しゅうあ、生年未詳 - 永和3年/天授3年(1377年)?[1])は、南北朝時代の地下(じげ=庶民)の連歌師。俗名を坂の小二郎と称した[1]。
連歌を救済(ぐさい・きゅうぜい)に師事し、その後継と目された[1]。二条良基の撰した連歌の法則を定めた「応安新式」の制定にも関与した[1]。年は不明だが東国に下向しており、晩年は九州に下った[1]。知的で人の意表をつく句風は、室町時代初期にかけての連歌壇にはやった[1]。
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