名村元武
名村 元武(なむら もとたけ)は江戸時代後期の阿蘭陀通詞。長崎通詞名村氏別家6代目[1]。『ドゥーフ・ハルマ』編纂者の1人。ロシア帝国使節ニコライ・レザノフの通訳を務め、オランダ商館医フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとも関わった。
"NAMURA SANZIRO" C. H. de Villeneuve ad nat. del. J. Erxleben del.(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト『日本』第1冊) | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 天明3年(1783年) |
死没 | 天保12年9月25日(1841年11月8日) |
改名 | 名村源之助、八十郎、三次郎、三四郎 |
別名 | 延護[1] |
戒名 | 眉山良月居士 |
墓所 | 長崎晧台寺 |
幕府 | 江戸幕府阿蘭陀通詞 |
氏族 | 藤原姓名村氏別家(八右衛門系) |
父母 | 名村元孝、モト |
子 | 政、名村元義 |
経歴
編集天明3年(1783年)稽古通詞名村三郎助元孝の子として生まれた[1]。寛政3年(1791年)3月父の退職に伴い稽古通詞となった[1]。文化元年(1804年)ロシア帝国使節ニコライ・レザノフが来航した際通訳を務めた[1]。文化2年(1805年)9月小通詞末席[1]。文化6年(1809年)10月ロシア語・英語の学習を命じられた[1]。
文政2年(1819年)4月小通詞並[1]。文政6年(1823年)フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが来日して教えを請う人々が集まると、他の通詞等とオランダ語を講義した[2]。文政12年(1829年)から天保3年(1832年)まで江戸天文台に勤務した[1]。
天保7年(1836年)10月小通詞助、天保8年(1837年)11月小通詞[1]。天保12年(1841年)参府休年出府通詞を務め、同年9月25日59歳で病没した[1]。戒名は眉山良月居士[1]。
- 『ドゥーフ・ハルマ』
- 『阿蘭陀船乗組人数名歳并諸荷物書留』 - 天保4年(1833年)来港したプリンセス・マリアンヌ号の乗船人名簿の翻訳[1]。
家族
編集脚注
編集参考文献
編集- 石原千里「オランダ通詞名村氏 常之助と五八郎を中心に」『英学史研究』第1989巻第21号、日本英学史学会、1989年、37-60頁、doi:10.5024/jeigakushi.1989.37、ISSN 0386-9490、NAID 130003624843。