名和君代

日本のヴァイオリニスト、音楽教師

名和 君代(なわ きみよ、1899年明治32年)7月12日 - 1933年昭和8年)3月3日)は、日本の女性音楽家。ヴァイオリニスト。神奈川県横浜市石川町出身。

ヴァイオリニスト名和君代の君 (芳紀二十五、東京音楽学校卒業)

来歴

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  • 1899年(明治32年) - 横浜市石川町にて名和儀三郎と伊藤きいの五女として生まれる。[要出典]*一次資料:戸籍謄本
  • 8、9歳の頃より山田流箏曲を相原千賀恵に師事し、14歳の時奥伝に達して師匠の代稽古を務めた。[1]
  • 1916年(大正5年) - 横浜高等女学校卒業後、東京音楽学校 (後の東京芸術大学)器楽部に入学。安藤幸子頼母木駒子両教授の指導の下にヴァイオリニンを専攻。[1]
  • 1920年(大正9年) - 楽友会のステージにて初演奏。[1][2]
  • 1920年(大正9年) - 東京音楽学校を卒業。[1]
  • 1920年(大正10年) - 横浜市開港記念会館においてローデーコンセルトを演奏。[1]
  • 1921年(大正10年) - 翌1922年(大正11年)まで鹿児島県立第一高等女学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)の音楽講師を務める。[1]
  • 1924年(大正13年) - 滑川商業学校(現・富山県立滑川高等学校)校歌の作曲。[3]
  • 1926年(大正15年)9月 - 横浜紅蘭高等女学校に奉職。[1]
  • 1927年(昭和2年)6月11日 - 名和君代提琴独奏会を報知講堂にて開催(伴奏は平田義宗)。[4]
  • 1928年(昭和3年)6月23日 - 横浜勤労婦人連盟の音楽会で演奏。[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 現代音楽大観 昭和2年11月25日発行
  2. ^ 日本の洋楽百年史
  3. ^ 富山国際大学子ども育成学部紀要第8巻(2017.3.)
  4. ^ 讀賣新聞 昭和2年6月11日(土曜日)『洋楽界 名和君代 嬢獨唱會 大正九年上野の東京音楽學校を卒業以来病魔と闘ひ剰へ震災に壓傷されて藥餌に親しんでゐた名和君代嬢はその後安藤幸子女史に就いて勉強を續け今十一日午後七時半から報知講堂に獨唱會を催して樂壇に呱々の聲を揚げる。曲目はハイドンのソナタ第五番、ペリオの司伴樂第七番の他小品七曲』
  5. ^ 「夜明けの航跡かながわ近代の女たち」 年表より