名古屋鉄道郵便局
概要
編集鉄道郵便局は、日本の郵便局の種類の一つで、鉄道事業者に郵便車を運行させてこれに職員が乗務し、鉄道沿線の郵便局から継送される郵便物を輸送するとともに、郵便車内で郵便物をあて先地域別に区分する業務を行っていた[1]。当局はそのうちおもに東海地方周辺の区間を担当した。
本局・分局
編集本局に管理部門が置かれるほか、各地の乗務・中継作業の拠点として主要ターミナル駅や分岐駅に分局が設置されていた。
沿革
編集- 1903年(明治36年)
- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)
- 1915年(大正4年)
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 長野鉄道郵便局が名古屋市に移転の上名古屋鉄道郵便局となる[12]。
- 線路区域[13]
- 東京直江津線の内高崎直江津間
- 名古屋長野線
- 小淵沢小諸線
- 松本北小谷線
- 東京塩尻線の内甲府塩尻間
- 豊橋辰野線
- 豊橋名古屋線
- 岡崎吉田線
- 岐阜富山線の内岐阜高山間
- 太田高鷲線
- 名古屋岐阜線
- 名古屋八百津線
- 名古屋鳥羽線
- 相可尾鷲線
- 線路区域[13]
- 1938年(昭和13年)3月11日 - 相可尾鷲線が相可木本線となる[14]。
- 1939年(昭和14年)10月1日 - 岡崎吉田線を削除[15]。
- 1940年(昭和15年)11月27日 - 等級を二等から一等に改定[16]。
- 1945年(昭和20年)8月1日 - 組織改正。
- 線路区域[17]
- 東京門司線の内浜松米原間
- 名古屋長野線の内名古屋塩尻間
- 豊橋辰野線の内豊橋飯田間
- 豊橋名古屋線
- 岐阜富山線の内岐阜高山間
- 太田北濃線
- 名古屋岐阜線
- 名古屋八百津線
- 名古屋鳥羽線
- 相可木本線
- 線路区域[17]
- 1946年(昭和21年)3月1日 - 名古屋八百津線を削除[18]。
- 1948年(昭和23年)
- 2月25日 - 鉄道郵便乗務員の服務方法に関するGHQ指令[19]が発出され、職員配置の大幅な異動・所要の施設整備等を行うこととなる[20]。
- 業務の合理化
- 乗務行程の合理化
- 複数の区間の乗務を兼務し循環服務する体制をやめ、原則として乗務区間ごとに乗務員の配置を固定
- 本局等から乗務区間までの長距離の便乗の解消
- 具体的には次のような対応がとられた。
- 乗務区間に応じた地方の拠点(分局等)への職員の分散配置
- 各地に職員住宅や乗務員事務室等の整備
- 乗務行程見直しにより乗務員配置が難しくなる末端の支線等では取扱便から託送便への変更や専用自動車便への移行など
- 当局では、乗務担当区間均衡化のため隣接局との間で所掌区間の変更が行われ、名古屋長野線の名古屋 - 塩尻間を長野鉄道郵便局に移管し、東京門司線の米原 - 大阪間について大阪鉄道郵便局から移管を受けた。
- 業務の合理化
- 8月16日 - 組織改正。
- 線路区域[21]
- 東京門司線の内浜松大阪間
- 豊橋辰野線の内豊橋飯田間
- 岐阜富山線の内岐阜高山間
- 太田北濃線
- 名古屋鳥羽線
- 松坂木本線
- 線路区域[21]
- 2月25日 - 鉄道郵便乗務員の服務方法に関するGHQ指令[19]が発出され、職員配置の大幅な異動・所要の施設整備等を行うこととなる[20]。
- 1949年(昭和24年)7月1日 - 組織改正、豊橋分局設置
- 線路区域[22]
- 本局
- 東京門司線の内浜松大阪間
- 岐阜富山線の内岐阜高山間
- 名古屋鳥羽線
- 松坂木本線
- 豊橋分局
- 豊橋辰野線の内豊橋飯田間
- 本局
- 線路区域[22]
- 1950年(昭和25年)2月21日 - 組織改正、岐阜分局及び積替駐在設置
- 線路区域及び積替駐在[23]
- 本局
- 東京門司線の内浜松大阪間
- 名古屋鳥羽線
- 松坂木本線
- 名古屋
- 亀山
- 豊橋分局
- 豊橋辰野線の内豊橋飯田間
- 豊橋
- 岐阜分局
- 岐阜富山線の内岐阜高山間
- 太田北濃線
- 岐阜
- 本局
- 線路区域及び積替駐在[23]
- 1955年(昭和30年)9月1日 - 亀山分局を設置[24]。
- 1972年(昭和47年)3月 - 東京門司線について、乗務員の郵便物区分方法・郵便物輸送体系を変更し、「東京門司線の乗務員を経由して運送する郵便物の区分特例」(東京門司線特例)を制定[25]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 岐阜・亀山の各分局を廃止[26]。
- 1986年(昭和61年)10月1日 - 名古屋鉄道郵便局本局及び豊橋分局を廃止[27]。
取扱内容
編集- 鉄道郵便車に乗務し、車内で区分及び郵袋、小包の積み下ろし事務。
- 局舎や駅の郵便室で、郵便物の受け渡し・郵袋や小包の区分事務。
→「鉄道郵便局 § 名古屋鉄道郵便局」も参照
脚注
編集- ^ a b 「鉄道と郵便の114年」(『鉄道ジャーナル』1986年12月号(No.240)、鉄道ジャーナル社、p.63-p.68)
- ^ “逓信省告示第186号. 官報. 1903年03月23日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月3日閲覧。
- ^ “逓信省告示第591号. 官報. 1903年12月05日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月3日閲覧。
- ^ “逓信省告示第444号. 官報. 1910年03月29日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月3日閲覧。
- ^ “逓信省告示第435号. 官報. 1910年03月29日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月3日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1009号. 官報. 1910年10月04日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1331号. 官報. 1910年11月26日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “逓信省告示第503号. 官報. 1911年04月25日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “逓信省告示第423号. 官報. 1911年07月20日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “逓信省告示第257号. 官報. 1915年03月31日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “逓信省告示第543号. 官報. 1915年07月16日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月3日閲覧。
- ^ “逓信省告示第2984号. 官報. 1937年09月30日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月3日閲覧。
- ^ “逓信省告示第2985号. 官報. 1937年09月30日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月3日閲覧。
- ^ “逓信省告示第680号. 官報. 1938年03月10日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “逓信省告示第2823号. 官報. 1939年09月30日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ 昭和15年逓信省告示第3243号(昭和15年11月27日付官報第4168号掲載)
- ^ “逓信院告示第74号. 官報. 1945年07月26日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “逓信院告示第74号. 官報. 1946年03月15日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ 1948年2月25日 GHQ SCAPIN5308A覚書
- ^ 『続逓信事業史 第三巻 郵便』 p.424-p.429
- ^ “逓信省告示第301号. 官報. 1948年08月14日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “郵政省告示第52号. 官報. 1949年06月30日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ “郵政省告示第32号. 官報. 1950年02月11日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月4日閲覧。
- ^ 昭和30年8月31日郵政省告示第999号
- ^ 『郵便創業120年の歴史』 p.21-p.22
- ^ 昭和59年1月14日郵政省告示第18号
- ^ 昭和61年9月10日郵政省告示第711号
参考文献
編集- 郵政省編 『続逓信事業史 第三巻 郵便』 前島会、1960年
- 郵政省郵務局郵便事業史編纂室 『郵便創業120年の歴史』 ぎょうせい、1991年
- 小林正義 「鉄道と郵便の114年」(『鉄道ジャーナル』1986年12月号(No.240)、鉄道ジャーナル社、p.63-p.68掲載)