名古屋市立高田小学校
名古屋市立高田小学校(なごやしりつ たかだしょうがっこう)は、名古屋市瑞穂区宝田町にある公立小学校。
名古屋市立高田小学校 | |
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北緯35度7分45.75秒 東経136度55分27.54秒 / 北緯35.1293750度 東経136.9243167度座標: 北緯35度7分45.75秒 東経136度55分27.54秒 / 北緯35.1293750度 東経136.9243167度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210001020 |
所在地 | 〒467-0866 |
名古屋市瑞穂区宝田町4-1[WEB 1] | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
歴史
編集1927年(昭和2年)6月15日、瑞穂尋常高等小学校の児童数増加により分離し、高田尋常高等小学校として成立する[1]。独立時には既に尋常科に限っても1,663人の児童が在籍しており、26学級が編成されるほどの規模を誇り、2階建ての木造校舎に収容されていたという[2]。その後も児童数は増加の一途を辿り、創立4年後の1931年(昭和6年)には御劔尋常小学校が独立し、その一部の児童を収容することとなった[2]。
それでも過密状態は是正されず、1935年(昭和10年)2月に堀田尋常小学校が設立されている[2]。
戦時体制下には高田国民学校と称していたが、1945年(昭和20年)5月17日の名古屋大空襲において校舎全焼の憂き目に遭っている[3]。この空襲により、高田連区(学区)内では死者8名、重軽傷者28名、罹災者は2,536名に及ぶ被害を出している[4]。
児童については、412人が三重県三重郡菰野町に集団疎開をしていた[5]。
児童数の変遷
編集『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[6]。
1947年(昭和22年) | 1262人 | |
1957年(昭和32年) | 1515人 | |
1967年(昭和42年) | 1060人 | |
1977年(昭和52年) | 809人 | |
1987年(昭和62年) | 627人 | |
1997年(平成9年) | 386人 | |
2007年(平成19年) | 297人 | |
2017年(平成29年) | 320人 |
通学区域
編集所管する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日現在、瑞穂区のうち、牛巻町・春敲町・大喜新町1丁目・大喜新町3~4丁目・直来町・平郷町・宝田町・堀田通4~6丁目・豆田町の全域および北原町1丁目・薩摩町1丁目・新開町・大喜新町2丁目・西ノ割町1丁目・二野町・本願寺町1丁目の各一部を通学区域として指定している[WEB 2]。
また、卒業後の進学先は名古屋市立瑞穂ヶ丘中学校となっている[WEB 3]。
創立時の通学区域は、南区(当時)瑞穂町字上高田・字下高田・字南井戸田・字大喜・字池下・字中山および熱田東町を範囲としていたが、後年の学区分割により高田学区のほか、御劔・汐路・堀田の各小学校区となっている[WEB 4]。また、学校名の由来ともなった高田の地は、汐路小学校区に含まれている[WEB 4]。
交通アクセス
編集脚注
編集WEB
編集- ^ a b 名古屋市役所教育委員会事務局総務部企画経理課企画統計係 (2018年9月18日). “瑞穂区の小・中学校一覧”. 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
- ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(瑞穂区)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月15日閲覧。
- ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年4月1日). “名古屋市立中学校区一覧(小→中)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
- ^ a b “学校紹介”. 名古屋市立高田小学校. 2018年11月27日閲覧。
書籍
編集- ^ 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会 1994, p. 547.
- ^ a b c 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会 1994, p. 302.
- ^ 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会 1994, p. 323.
- ^ 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会 1994, p. 322.
- ^ 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会 1994, p. 330.
- ^ 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 2018, p. 215.