名古屋市立大杉小学校
名古屋市北区の公立小学校
名古屋市立大杉小学校(なごやしりつ おおすぎしょうがっこう)は、名古屋市北区大杉三丁目にある公立小学校。
名古屋市立大杉小学校 | |
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北緯35度11分24.27秒 東経136度55分2.99秒 / 北緯35.1900750度 東経136.9174972度座標: 北緯35度11分24.27秒 東経136度55分2.99秒 / 北緯35.1900750度 東経136.9174972度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210000254 |
所在地 | 〒462-0837 |
名古屋市北区大杉三丁目9-21[WEB 1] | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
歴史
編集大杉小学校が創立されたのは、昭和初期の人口増加期にあたる。1935年(昭和10年)、杉村尋常小学校と清水尋常小学校の各学区の割譲を受け、大杉尋常小学校として設置された[1]。
戦時中は大杉国民学校と校名を変更していたが、その当時に実施された集団疎開では437人が岐阜県不破郡宮代町および垂井町の見性寺・真禅寺・大慈寺・専精寺・願林寺・正行院・玉泉寺などに分かれて生活することとなった[2]。校舎は1945年(昭和20年)4月7日の名古屋大空襲により全焼した[3]。
疎開児童の引き揚げと同時に、学校本部を下飯田国民学校に移すこととなった[4]。その後、1946年(昭和21年)6月には杉村国民学校において4年以下の児童の受け入れが行われた[4]。新校舎が成ったのは翌年の9月になってからであった[4]。
児童数の変遷
編集『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[5]。
1947年(昭和22年) | 1010人 | |
1957年(昭和32年) | 1382人 | |
1967年(昭和42年) | 887人 | |
1977年(昭和52年) | 738人 | |
1987年(昭和62年) | 429人 | |
1997年(平成9年) | 319人 | |
2007年(平成19年) | 246人 | |
2017年(平成29年) | 255人 |
通学区域
編集所管する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日現在、北区のうち、生駒町1~4丁目・大蔵町・大杉町1~4丁目・大杉一丁目・大杉二丁目・大杉三丁目・猿投町・志賀本通・神明町・城東町1~4丁目・中杉町・長田町1丁目・水切町1~4丁目の全域および清水二丁目・清水五丁目・杉村一丁目・芳野二丁目の各一部を通学区域として指定している[WEB 2]。
また、卒業後の進学先は名古屋市立八王子中学校となっている[WEB 3]。
交通アクセス
編集脚注
編集WEB
編集- ^ a b 名古屋市教育委員会事務局総務部企画経理課企画統計係 (2018年9月18日). “北区の小・中学校一覧”. 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
- ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(北区)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月15日閲覧。
- ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2018年4月1日). “名古屋市立中学校区一覧(小→中)” (PDF). 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
文献
編集- ^ 北区制50周年記念事業実行委員会 1994, p. 360.
- ^ 北区制50周年記念事業実行委員会 1994, p. 402.
- ^ 北区制50周年記念事業実行委員会 1994, p. 410.
- ^ a b c 北区制50周年記念事業実行委員会 1994, p. 429.
- ^ 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 2018, p. 176.
参考文献
編集- 北区制50周年記念事業実行委員会 編『北区誌』北区制50周年記念事業実行委員会、1994年2月11日。
- 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 編『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会・名古屋市立小中学校長会、2018年2月15日。