名古屋市立久方中学校
名古屋市天白区の公立中学校
名古屋市立久方中学校(なごやしりつ ひさかたちゅうがっこう)は、名古屋市天白区久方三丁目にある公立中学校。
名古屋市立久方中学校 | |
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北緯35度6分18.1秒 東経136度58分58.4秒 / 北緯35.105028度 東経136.982889度座標: 北緯35度6分18.1秒 東経136度58分58.4秒 / 北緯35.105028度 東経136.982889度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
校訓 | 希望・努力・友情[1] |
設立年月日 | 1975年(昭和50年)4月1日[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C123210001073 |
所在地 | 〒468-0034 |
名古屋市天白区久方三丁目163番地[3] | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
歴史
編集沿革
編集生徒数の変遷
編集『愛知県小中学校誌』(1998年)によると、生徒数の変遷は以下の通りである[4]。
1975年(昭和50年) | 788人 | |
1977年(昭和52年) | 1,004人 | |
1987年(昭和62年) | 890人 | |
1997年(平成9年) | 535人 |
校名の由来
編集付近の地名である久方に、「学校が明るく久しく発展する」という願いが込められたものであるという[5]。地名の久方は、「ひさかたの光のどけき春のひにしずこころなく花の散るらん」という小倉百人一首の一首に由来する[5]。
委員会
編集部活動
編集体育運動部
編集久方中学校男子バスケットボール部は、愛知県 中学バスケ2021年度新人大会で優勝を果たした。その後、県大会二回戦目で主要メンバー2人が怪我で欠場し尾張旭東中学校に敗れ、敗退となる。
- 女子バスケットボール部[7]
文化部
編集廃部
編集通学区域
編集出身人物
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “校訓碑”. 名古屋市立久方中学校. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b c “学校の沿革”. 名古屋市立久方中学校. 2015年11月8日閲覧。
- ^ “学校概要”. 名古屋市立久方中学校. 2015年11月8日閲覧。
- ^ 六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 1998, p. 406.
- ^ a b “校名の由来”. 名古屋市立久方中学校. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g “委員会”. 名古屋市立久方中学校. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “部活動”. 名古屋市立久方中学校. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b c 名古屋市教育委員会事務局子ども応援委員会制度担当部学校計画室計画係 (2015年4月1日). “名古屋市立中学校区一覧(小→中)” (PDF). 名古屋市. 2015年11月8日閲覧。
- ^ a b “佐藤啓の「ご歓談ください」:中京テレビ アナウンスルーム » 「スポーツスタジアム」で偉大なる後輩にインタビュー!!”. 中京テレビ放送 (2011年8月9日). 2019年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月4日閲覧。
- ^ a b 「1983年開幕ワイド特集 開幕直前 この男たちの夢と現実と不安 工藤公康(西武) 不安見せない強心臓男の現代的開幕の迎え方」『週刊ベースボール』第38巻第17号、ベースボール・マガジン社、1983年4月18日、33-34頁。(※1983年4月18日号・通巻第1398号)
- ^ 『中日新聞』1981年8月14日朝刊県内版・名古屋市民版15頁「名電 1万応援団燃える 息子よくやった 工藤の父」(中日新聞社)
- ^ 『中日ドラゴンズ 2001ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2001年3月9日、24頁。ISBN 978-4806204251。
- ^ “選手紹介 川口太一”. 豊田合成トレフェルサ. 豊田合成. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ “選手名鑑 石田 健人マルク(投手)”. 中日ドラゴンズ 公式サイト. 中日ドラゴンズ. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
参考文献
編集- 六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌編集委員会 編『六三制教育五十周年記念愛知県小中学校誌』1998年3月1日。