吉田東篁
日本の儒者
吉田 東篁(よしだ とうこう[1]、文化5年8月1日(1808年9月20日) - 明治8年(1875年)5月2日)は、日本の儒者[2]。通称は悌蔵。諱は篤。号は東篁・蒙斎・江胡山人。字は士行。幼名は金一。隠居後は山守東篁と名乗る。福井藩儒。明道館教授。福井藩学問の開祖。著作に『東篁遺稿』(山口透編)がある[3]。
経歴
編集文化5年(1808年)8月1日に、福井藩足軽・吉田金八の子として福井城下に生まれる。儒者の清田丹蔵にまなぶ[2]。
私塾「東篁塾」を開き、鈴木主税・橋本左内・由利公正らを輩出した。ペリー来航時には水戸藩の藤田東湖ら尊皇攘夷派を訪ね、意見を交わす。安政2年(1855年)、藩主松平春嶽に抜擢され、藩校明道館の助教となる[1]。