吉田 斐太麻呂(きった の ひだまろ)は、奈良時代の貴族・医師。姓は連。官位は従五位上・内薬正。
奈良時代前期の医師である、吉宜の近親か。
称徳朝末の神護景雲4年(770年)外従五位下に叙せられる。光仁朝の宝亀2年(771年)内薬正に任ぜられると、桓武朝初頭までの10年以上に亘ってこれを務めた。この間、宝亀10年(779年)内位の従五位下に叙せられ、光仁朝末には侍医も兼ねている。
桓武朝初頭の天応元年(781年)従五位上に至る。
『続日本紀』による。