吉田忠志
吉田 忠志(よしだ ただし、1947年(昭和22年)8月7日[1] - 2009年(平成21年)8月22日[2])は、日本の政治家。鳴門市長(1期)、徳島県議会議員(4期)。
吉田 忠志 よしだ ただし | |
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生年月日 | 1947年8月7日 |
出生地 | 徳島県鳴門市里浦町里浦 |
没年月日 | 2009年8月22日(62歳没) |
死没地 | 徳島県徳島市 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
法学士(慶應義塾大学・1969年) 旭日双光章 正六位 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2007年 - 2009年 |
徳島県議会議員 | |
在任期間 | 1991年4月30日 - 2007年 |
経歴
編集徳島県鳴門市里浦町里浦出身。鳴門市里浦小学校、鳴門市第二中学校、徳島県立城南高等学校から、慶應義塾大学法学部法律学科に進み、1969年に卒業。その後、三木武夫の秘書を歴任。
1991年に徳島県議会議員に初当選し、その後4期連続当選。文教厚生委員長、土木委員長、徳島県監査委員会を歴任。鳴門市バレーボール協会長、鳴門市少年野球連盟会長、鳴門市体育協会副会長に就任した。
2007年に鳴門市長に当選したが、在職中の2009年8月22日、肺がんのため死去。62歳没。死没日をもって正六位に叙され、旭日双光章を追贈された[3]。
脚注
編集- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、362頁。
- ^ “吉田忠志・徳島県鳴門市長が死去”. 日本経済新聞 2009年8月25日閲覧。
- ^ 『官報』第5157号11頁 平成21年9月16日号