吉田康夫
吉田 康夫(よしだ やすお、1961年6月11日 - )は、福島県岩瀬郡鏡石町出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福島県岩瀬郡鏡石町 |
生年月日 | 1961年6月11日(63歳) |
身長 体重 |
179 cm 68 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1985年 ドラフト5位 |
初出場 | 1986年4月26日 |
最終出場 | 1996年5月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
金 | 1984 ロサンゼルス | 野球 |
ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。
来歴・人物
編集日大東北工業入学時の1977年は三塁手であったが[1]、強肩であったために捕手に転向し、後に同校で監督を務める宗像忠典とのバッテリーで活躍。2年次の1978年に校名が日大東北高に変更し、3年次の1979年には夏の甲子園県予選で準決勝に進出するが安積商高に敗れる。
卒業後は1980年に三菱自動車川崎へ入社し、1981年・1983年の都市対抗で準々決勝進出に貢献。1984年にはロス五輪日本代表に選出され、正捕手として金メダルの獲得に貢献。同年の第28回アマチュア野球世界選手権でも日本代表となる。同年のドラフト会議では、事前に巨人側から外れ1位か2位での指名を約束をされていたが[1]、巨人は約束を反故にし吉田をドラフト指名せず、ドラフト会議後にドラフト外で入団させようとした[1]。巨人側のこの対応に、吉田は「約束が違う」と入団を拒否した[1]。1985年の都市対抗では1回戦で本塁打を放つなど活躍し、13年ぶりの準決勝進出に貢献。同年の第13回アジア野球選手権大会、インターコンチネンタルカップで日本代表となる。
同年のドラフト5位で阪神タイガースに入団。強肩でインサイドワークに優れた捕手として大きく期待されたが、正捕手争いにはなかなか加われず、木戸克彦、嶋田宗彦に続く第3の捕手として貴重な戦力であった[1]。1989年には嶋田の不調もあり58試合に出場するが、その後は段々と出場機会が減る。1994年にはプロ入り後初めて開幕戦のスターティングメンバーに選ばれたが、この年一軍では無安打に終わりチャンスを逃してしまった。1997年に戦力外通告を受け、現役を引退[1]。
引退後も阪神に残って二軍バッテリーコーチ(1998年, 2002年 - 2003年, 2013年 - 2015年)・二軍育成コーチ(1999年 - 2001年)・一軍ブルペンコーチ(2004年 - 2006年)・一軍バッテリーコーチ(2007年 - 2012年)を務め、大胆で緻密に長所を伸ばす指導者だった[2]。指導した狩野恵輔は「入団当初、お山の対照的な部分があって、吉田コーチの方からすごく直されました。「それじゃ捕手としては飯が食えないな」と言われましたね。もともと無口で人見知りでした。「ピッチャーに好かれろ・もっと気を配れ」となど口酸っぱく言われ徐々に性格が変わってきました。」[3]と述べている。退団後は群馬県前橋市のスポーツDEPO前橋吉岡店でアドバイザリースタッフを務めている[4]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1986 | 阪神 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
1988 | 9 | 9 | 9 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .222 | .222 | .222 | .444 | |
1989 | 58 | 96 | 80 | 12 | 12 | 2 | 0 | 0 | 14 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 11 | 3 | 2 | 15 | 1 | .150 | .269 | .175 | .444 | |
1990 | 42 | 31 | 26 | 6 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | .154 | .214 | .192 | .406 | |
1991 | 12 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
1994 | 6 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1995 | 1 | 4 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
1996 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:8年 | 132 | 148 | 126 | 21 | 21 | 3 | 0 | 0 | 24 | 1 | 4 | 0 | 7 | 0 | 13 | 3 | 2 | 25 | 1 | .167 | .255 | .190 | .445 |
年度別守備成績
編集年度 | 試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
---|---|---|---|---|---|
1986 | 3 | 0 | 0 | 0 | - |
1988 | 7 | 5 | 3 | 2 | .400 |
1989 | 52 | 30 | 14 | 16 | .533 |
1990 | 42 | 18 | 10 | 8 | .444 |
1991 | 6 | 1 | 1 | 0 | .000 |
1994 | 6 | 0 | 0 | 0 | - |
1995 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
通算 | 117 | 55 | 28 | 27 | .491 |
記録
編集- 初出場:1986年4月26日、対中日ドラゴンズ5回戦(阪神甲子園球場)、8回表に木戸克彦に代わり捕手として出場
- 初先発出場:1988年4月13日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、2回裏に槙原寛己から
背番号
編集- 39 (1986年 - 1996年)
- 29 (1997年)
- 86 (1998年 - 2001年)
- 81 (2002年 - 2015年)
脚注
編集- ^ a b c d e f g “猛虎人国記(49)~福島県~ 移籍後の変身で「特別賞」 古溝”. スポーツニッポン. (2012年3月27日) 2013年3月31日閲覧。
- ^ 大阪日刊スポーツ・なにわWEB・阪神タイガース99陣容
- ^ 週刊ベースボール2017年11月27日104頁
- ^ スポーツデポ 前橋吉岡店
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 吉田康夫 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)