吉永吉次
吉永 吉次(よしなが きちじ、1879年(明治12年)9月28日[1] - 1934年(昭和9年)5月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
編集鹿児島県出身[1][2]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[3]。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官する[3]。1909年(明治42年)12月、陸軍大学校に入校し、1912年(大正元年)11月、陸軍大学校第24期卒業[4]。
1924年(大正13年)8月、陸軍歩兵大佐に進級と同時に富山連隊区司令官となり、歩兵第35連隊長を経て、1930年(昭和5年)3月、陸軍少将に進み、歩兵第11旅団長となった[2]。1932年(昭和7年)8月、豊予要塞司令官に転じたのち、翌年の1933年(昭和8年)3月18日に待命、同月31日に予備役に編入した[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。