吉橋計
吉橋 計(よしはし けい、1932年7月31日[1][2] - 没年不明[4])は、日本の実業家、馬主。
よしはし けい 吉橋 計 | |
---|---|
生誕 |
1932年7月31日[1][2] 日本 千葉県船橋市[3] |
死没 | 不明[4] |
出身校 | 日本大学法学部 中退[2] |
職業 | |
肩書き | |
子供 |
不動産業などを手掛けた株式会社フォンテンの代表取締役社長を務めていた。
経歴・人物
編集1932年、千葉県出身[1][2]。1952年に日本大学法学部を中退[2]。1956年にゴルト総業株式会社を設立、後に株式会社フォンテンに改称[1][2]。同社は競走馬、不動産売買、電気製品・貴金属の卸売といった事業を手掛けた[5]。1963年より千葉新聞社取締役[2]、1966年より京葉綜合調査研究所所長[1][2]。1968年には家畜商免許を取得[1][2]。没年月日は不詳だが、2021年時点で数年前に亡くなっているとされている[4]。
趣味は競馬[1][2]、飲み歩きと食べ歩き[3]。妻とは1958年に死別している[3]。
不祥事
編集1982年11月26日朝、都内の悪質な金融業者が一斉摘発・出資法違反の疑いで家宅捜索を受け、吉橋の経営していた金融業「丸計商会」もその対象となった[6]。丸計商会は資金繰りに苦しむフランス料理店に目を付け14億488万円を貸し付け、法定利息を大きく上回る約7千400万円もの利息を取り、取り立ての際に脅迫行為を行っていた[6]。この件により、吉橋はフランス料理店の経営者によって私文書偽造の疑いで築地警察署へ告訴されている[6]。
馬主活動
編集日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主として知られた。勝負服の柄は紫、袖黄縦縞。冠名には、自身が株主を務めていた錦糸町にあったというキャバレー・「グランド・フォンテン」の店名より[3]「フォンテン」を用いた。競馬新聞の「勝馬」の運営会社の顧問でもあった[3]。
次男の興生(こうせい、1956年6月4日生[1])[注釈 1]も馬主となっており、冠名「フォンテン」や勝負服を父から引き継いでいる。主な所有馬には2021年に川崎記念、かしわ記念を制したカジノフォンテンがいる。
主な所有馬
編集GⅠ競走優勝馬
編集- ゴーカイ(1999年東京オータムジャンプ、2000年中山グランドジャンプ、東京ハイジャンプ、2001年中山グランドジャンプ)
重賞競走優勝馬
編集- アイエルオー(1965年東京障害特別・秋)
- ホワイトフォンテン(1975年日本経済賞、毎日王冠、1976年アメリカジョッキークラブカップ、日本経済賞)
- プラトーフォンテン(1980年東京障害特別・秋、1981年東京障害特別・春)
- ジーナフォンテン(2000年若葉賞【上山】、若駒賞【上山】、2002年スパーキングレディーカップ、2003年エンプレス杯、2005年報知グランプリカップ、TCKディスタフ)
- バローネフォンテン(2005年東京オータムジャンプ)
- オープンガーデン(2011年阪神スプリングジャンプ)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『現代人物事典』出身県別 東日本版 592頁
- ^ a b c d e f g h i j k 『産経日本紳士年鑑』 第9版 下 や行 172頁
- ^ a b c d e 「河合純子の馬主さん訪問 (6)人生これすべて競馬に賭けた"穴男" ゲスト 吉橋計さん」『新評』第23巻第4号、新評社、1976年4月、132-135頁。
- ^ a b c 高橋華代子 (2021年1月29日). “(かなり長文です)川崎記念、カジノフォンテン優勝!!!”. 南関魂 高橋華代子の南関東競馬ブログ. JUGEMブログ. 2024年11月21日閲覧。
- ^ 『産経会社年鑑』第9版 498頁
- ^ a b c 「警視庁、悪質金融22社の摘発――暴利で高級料理店くいもの。」日本経済新聞 夕刊 1982年11月26日付 15頁
参考文献
編集- 『現代人物事典』出身県別 東日本版(サン・データ・システム,、1980年6月)
- 『産経日本紳士年鑑』第9版 下(産経新聞年鑑局、1970年)
- 『産経会社年鑑』第9版(産業経済新聞社年鑑局、1970年)
- 『新評』第23巻第4号(新評社、1976年4月)
- 「河合純子の馬主さん訪問 (6)人生これすべて競馬に賭けた"穴男" ゲスト 吉橋計さん」