吉村正一郎 (仏文学者)
日本のフランス文学者・文芸評論家・翻訳家(1904−1977)
吉村 正一郎(よしむら しょういちろう、1904年2月17日 - 1977年12月9日)は、日本のフランス文学者・文芸評論家・翻訳家。
人物・来歴
編集滋賀県甲賀郡水口町(現・甲賀市)に、のち広島市長の吉村平造(吉村胆南)の長男として生まれる。弟に映画監督の吉村公三郎がいる。1925年京都帝国大学文学部仏文科入学、1928年同卒業、朝日新聞社に入社、京都支局長、パリ特派員、論説委員を歴任し、「天声人語」を書く。生島遼一の妹悦子と結婚するが先立たれた。戦後1959年に京都市助役、1968年に奈良県教育委員長となる。1976年に帝塚山学園長となり、在職中にガン性腹膜炎のため自宅で死去した。[1] 逝去時には、東大寺信徒総代、大仏奉讃会副理事長を務めていた。[2]
親族
編集- 実弟 : 吉村公三郎(映画監督)
- 前妻 : 悦子 生島遼一の妹
- 後妻 : 照