吉川晴十

日本の冶金学者

吉川 晴十(きっかわ はるじゅう、1885年8月6日 - 1952年6月5日)は、日本冶金学者。

来歴

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長野県諏訪郡玉川村(現・茅野市)に生まれる[1]。諏訪郡立実科中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1907年旧制第一高等学校卒業、1910年東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科を卒業する[1]。同年より呉海軍工廠付となる[1]

1911年ドイツに留学する[1]1914年にはイギリスに渡り、マンチェスター大学で研究員を務めた[1]

1915年、呉海軍工廠製鋼部造兵監督官に就任する[1]1922年に海軍造兵中佐となる[1]。呉海軍工廠製鋼部長(1927年)を経て、1932年に海軍造兵少将に昇進した[1]

1933年に東京帝国大学教授に就任[1]

鋼の鍛造についての研究を専門とし、鍛造作業の呼称、鋼材の検査や表示方法についての提言もおこなった[1]

科学審議会委員、工業品規格統一調査会委員、特殊鋼製造技術委員、鉱工業総力発揮委員会委員、学術研究会議会員といった役職も務めた[1]

著書

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  • 『電気製鋼術』共立社、1933年

関連文献

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  • 諏訪海軍史刊行会(編)『海こそなけれ 諏訪海軍の航跡』諏訪海軍史刊行会、1994年

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 吉川晴十 - 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年(コトバンク