吉崎栄泰
日本の医師・プログラマー
吉崎 栄泰(よしざき はるやす、1955年2月23日 - )は、日本の医師、プログラマ。内科の医師を務める傍ら、1990年代から2000年代まで日本で幅広く利用されたアーカイバの一種であるLHA(LZH)を開発した。
よしざき はるやす 吉崎 栄泰 | |
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生誕 |
1955年2月23日(69歳)[1] 日本 北海道旭川市 |
出身校 | 札幌医科大学[2] |
職業 | 医師 |
概要
編集札幌医科大学・同大学院で内科学(第一内科)を専攻。帯広協会病院副院長などを経て、2007年から黒澤病院(現帯広中央病院)に勤務、同病院名誉院長。大学時代に出たばかりのインテル社のチップを手に入れるほどのコンピュータ好きで、パソコン通信にもはまり込んだ。
1988年に奥村晴彦が LZSS法をさらに算術符号化した LZARIという圧縮アルゴリズムをPC-VAN上に発表すると、吉崎は「算術符号化の部分をハフマン符号化すればもっと効率的なアルゴリズムになるはずだ」との考えから、それに基づいたLZHUF法を開発した。同年末にLZHUF法を採用したアーカイバLHarcをニフティサーブとアスキーネットに公開したところ反響を呼び、後に奥村との交流も深め、アルゴリズムの改良が続けられた。
1990年頃にLHarcをLHAに改称、多くのボランティアの協力を得てUNIX版、Macintosh版、Windows版に移植された。マニュアルは英訳され日本国外のユーザーにも知られるようになり、MS-DOSならびにWindows環境ではZIPとともにデータ圧縮の事実上の標準形式となった。また、ZIP形式を扱うPKZIPがシェアウェアであったのに対し、LHAはフリーウェアであった点も普及に拍車をかけた。
1991年に米PCマガジン編集長賞を、1992年に第1回フリーソフトウェア大賞で大賞を受賞した[3]。
専門分野
編集学会
編集著作
編集脚注
編集- ^ “吉崎栄泰のLHAワールド” (1999年). 1999年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月27日閲覧。
- ^ “医師紹介”. 社会医療法人 恵和会 黒澤病院. 2020年1月27日閲覧。
- ^ “第1回フリーソフトウェア大賞 受賞作品”. www
.iajapan .org. 一般財団法人インターネット協会 (1992年). 2020年1月27日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 吉崎栄泰のLHAワールド - ウェイバックマシン(1999年5月8日アーカイブ分)
- 社会医療法人恵和会 帯広中央病院