台北郵局
台北郵局(臺北郵局、たいぺいゆうきょく)は台北市にある中華郵政の郵便局(郵局)[1][2][3]。北門の目の前にあることから北門郵局とも呼ばれる[4]。所在地は台北市中正区忠孝西路一段[5]。
起源は19世紀末のこと。日清戦争が終結し下関条約が締結された1895年、日本軍は台湾に上陸すると、軍が所管する野戦郵便局を進軍にあわせて順次設置した。1895年6月9日設置の基隆の野戦郵便局を皮切りに、続けて台北にも1895年7月9日に置かれた[6]。台北郵局の公式サイトではこの時点を“Set-up Date”としている[1]。翌年には軍から民政局へ移管され、野戦郵便局という名称は廃止された[6]。
1898年に木造2階建ての局舎が完成したが、1913年2月に火災により焼失し、同年11月に木造の臨時局舎が再建された[7]。
現行の局舎が建設されるのは1928年まで待たねばならなかった。栗山俊一の設計でRC造の3階建て局舎の建設が始まった。4000坪の敷地をもつ大掛かりな建築で[7]、工事は翌年または翌々年まで掛かった。この竣工年であるが、文化部文化資産局の資料によれば1929年で[8]、台北郵局の公式サイトによれば1930年とされている[7]。総工費は56万円で「当時としては破格の金額」であったという[9]。
外観からも判別できるように現在は4階建てになっているが、これは第二次世界大戦の終結後に4階部分が増築されたためである[10] 。1992年8月14日付け公示で台北市の古蹟とされた[8]。2006年には外壁の改修工事が開始され、2014年末完了、翌2015年には完成の式典が行われた[11]。またこの時、郵政博物館の開館50周年に合わせ局舎の2階に郵政博物館台北北門分館が開設された[12]。
細部には精緻な装飾も施されながら全体としては簡素かつ重厚な外観と対照的に、内部は吹抜けを用いた高い天井による開放感を醸し出している[10]。外部に使われているタイルの薄茶色は防空色と呼ばれる昔ながらのもので、2000年代の修復においても引き続き用いられた[11]。内部に設置されているカウンターは竣工当初から使い続けている宜蘭県蘇澳産の大理石製という[10]。
捷運の最寄り駅は松山新店線の北門駅で徒歩3分[13]。バスを利用する場合は台北郵局公車站すぐ。周辺には駐車場もある。近隣施設としては、道路の向かいに台北府城北門があり、逆に南方面へすぐのところには撫台街洋楼もある。[4]
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外壁
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内部、天井と柱の装飾。
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説明版。
脚注
編集- ^ a b “Post Office Locations”. 中華郵政. 2015年11月23日閲覧。
- ^ “臺北北門郵局”. 中華郵政. 2015年11月23日閲覧。
- ^ 地球の歩き方編集室『地球の歩き方 D10 (台湾)』(21版)ダイヤモンド社、2010年、371頁。ISBN 9784478058299。
- ^ a b “台北郵便局”. 台北市政府観光伝播局. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月23日閲覧。
- ^ 忠孝西路一段以下の号は、公式サイト によれば118号で公式サイト によれば120号。さらに『地球の歩き方 2010』によれば114号となっている。
- ^ a b 李[ハイ]蓉「台湾新式郵便制度の設立をめぐる一考察 : 基隆の事例を中心に」『Core ethics : コア・エシックス』、立命館大学、391-407頁、2007年。ISSN 18800467 。 pp.397-398。
- ^ a b c “簡介”. 中華郵政. 2015年11月23日閲覧。
- ^ a b “臺北郵局”. 文化資産局. 2015年11月23日閲覧。
- ^ “台湾郵便事情、並びに企業視察研修旅行”. 日本メーリングサービス協会. 2015年11月23日閲覧。
- ^ a b c 片倉佳史「台北の歴史を歩く(その8)台北駅前と北門、忠孝西路を歩く」『交流』、交流協会、19-27頁、2011年。ISSN 02899191 。p.24。
- ^ a b 汪淑芬. 名切千絵: “日本時代に建築の台北郵便局、改修完了 85年前の情緒よみがえる/台湾”. 中央通訊社. 2015年11月23日閲覧。
- ^ “台北郵便局の外壁改修工事が完了、局内に郵政博物館台北北門分館がオープン”. 外交部 (中華民国) (2015年1月22日). 2015年11月23日閲覧。
- ^ [台湾(台北)・トラベル情報] 台北北門郵便局 - JPN-WORLD.COM。2016年9月4日閲覧。
- ^ 公式サイトの画像2枚目『B105 民国二十年 台北郵便局(今台北郵局)』(jpg)参照。