可児市立今渡南小学校
岐阜県可児市にある小学校
可児市立今渡南小学校(かにしりつ いまわたりみなみしょうがっこう)は岐阜県可児市にある公立の小学校。
可児市立今渡南小学校 | |
---|---|
北緯35度25分53秒 東経137度02分48秒 / 北緯35.43141度 東経137.04655度座標: 北緯35度25分53秒 東経137度02分48秒 / 北緯35.43141度 東経137.04655度 | |
過去の名称 |
今渡町立今渡尋常小学校 今渡町立今渡尋常高等小学校 今渡町立今渡国民学校 今渡町立今渡小学校 可児町立今渡小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 可児市 |
設立年月日 | 1908年[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121221400017 |
所在地 | 〒509-0203 |
岐阜県可児市下恵土3433−7 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
通学区域
編集沿革
編集今渡南小学校のHPでの開校年は1908年(明治41年)となっているが、ここではそれ以前の学校についても記述する。尚、今渡南小学校に保管されている資料「今渡尋常小学校沿革史」では明治41年以前の記録が記載されておらず、不明な点も多い[注釈 1]。
- 1873年(明治6年) - 徳野村[注釈 2]に篤行学校、野市場村[注釈 3]に検進学校が開校する。
- 1875年(明治8年) - 今渡村に広益学校が開校する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 今渡村と下恵土村が合併し、今渡村が発足。
- 1900年(明治33年)7月19日 - 今渡村が町制施行し、今渡町となる。
※1875年~1907年の詳細は不明。
- 1908年(明治41年) - 今渡尋常小学校[注釈 4]と下恵土尋常高等小学校[注釈 5]が統合され、今渡尋常小学校となる。統合校舎は無く、今渡教場と下恵土教場で授業を行う。
- 1909年(明治42年)5月 - 下恵土教場が全焼。民家、中華高等小学校[注釈 6]などに分散して授業を行う。
- 1911年(明治44年)
- 4月 - 下恵土教場の校舎を再建。
- 6月 - 暴風雨で下恵土教場校舎が倒壊。民家などで分散して授業を行う。
- 1912年(明治45年)3月 - 下恵土教場の校舎を再建。
- 1912年(大正元年)9月22日 - 暴風雨で被害を受ける。
- 1913年(大正2年) - 統合校舎が完成。今渡教場、下恵土教場を廃止。
- 1918年(大正7年) - 農業補習学校を併設。
- 1919年(大正8年) - 中華高等小学校が廃校。高等科は各町村の尋常小学校に設置されることとなり、今渡尋常高等小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年) - 今渡国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年) - 今渡町立今渡小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 広見町、今渡町、土田村、久々利村、平牧村、春里村、帷子村と合併し可児町が発足。同じに可児町立今渡小学校に改称する。
- 1970年(昭和45年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
- 1978年(昭和53年) - 児童数増加のため、校舎を増築する。
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 可児町が市制施行して可児市となる。同時に可児市立今渡南小学校に改称する。
- 1983年(昭和58年) - 可児市立今渡北小学校を分離する。
注釈
編集脚注
編集参考文献
編集- 可児町史 通史編 1980年
- 可児市史 第三巻 (通史編 近・現代) 2010年