古寺雅男
日本の教育哲学者
人物
編集東京都出身[要出典]。1954年、京都大学教育学部卒業[要出典]。60年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、大谷中学校教諭、成安女子短期大学講師[要出典]。ボン大学を経て[要出典]、1970年、立命館大学文学部に着任[1]。同大学助教授、教授。1997年、定年退職[1][2]。1980年度に京都大学教養学部において「教育学」の授業の中で天才論を講じたが、その授業を受けた後の映画監督さかはらあつしに大きな影響を与えた。
天才を「すべての仕事で創造的で、品質が安定して高く、量がある」と定義した[3]。
著書
編集- 『日本人の生活意識と道徳 70年代の方向へむけて』法律文化社 1973
- 『自我の教育学』法律文化社 1976
- 『日記 自己形成の試み』法律文化社 1978
- 『教育実習 実習が教師をつくる』協同出版 教職課程新書 1981
- 『日本国民教育序説』法律文化社 1982
- 『生活指導の基本原理 自己形成の哲学』法律文化社 1987
- 『新・天才論 教育学からのアプローチ』ミネルヴァ書房 Minerva21世紀ライブラリー 1996
共編
編集論文
編集脚注
編集- ^ a b c “訃報 名誉教授古寺雅男先生”. 立命館大学文学部. 2022年2月閲覧。
- ^ 『新・天才論』著者紹介
- ^ 新刊JP. “「天才」にはなれないけれど、「天才的」にはなれる。天才に近づく“発想法”とは”. ビジネスジャーナル/Business Journal | ビジネスの本音に迫る. 2022年2月20日閲覧。