古倍数性[1][2](こばいすうせい、英語: paleopolyploidy)は、少なくとも数百万年前に起こったゲノム重複の結果、倍数性を示す現象である。倍数化により遺伝子の機能的重複が起こり、重複したゲノム中の遺伝子は急速に不活性化または消失する。古倍数体 (paleopolyploid) はほとんどの場合、進化の過程で複相化と呼ばれる過程によって倍数体としての性質を失い、現在では二倍体として扱われている。例えば、パン酵母 Saccharomyces cerevisiae[3]シロイヌナズナ Arabidopsis thaliana[4]ダイズ Glycine max[1][2]、そしておそらくヒト Homo sapiens[5][6][7]も古倍数体であることが知られている。

古倍数性のプロセスの概要。真核生物の多くは進化史において何度か倍数化を経験した古倍数体である。

古倍数性は植物の系統で広く研究されており、ほぼすべての被子植物が進化の過程で少なくとも1回のゲノム重複を経験していることが分かっている。また、脊椎動物においては、四足動物を含む硬骨魚類の共通祖先でも、真骨類ステムの系統でも、非常に古い時代にゲノム重複が起こっている。小さなゲノムを持つパン酵母でさえ、進化の過程で倍数体を経験したとする証拠がある。

また、過去1700万年以内のような、より新しい時代における全ゲノム重複、全ゲノム3倍体化などの全ゲノム重複イベントを経た種に対して、mesopolyploid(中倍数体)という用語が用いられることもある[8]

真核生物

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よく研究されているすべての倍数化イベントを網羅した図。

植物

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古代のゲノム重複は、真核生物の系統に広く見られるが、特に植物でよく知られる。イネ科の共通祖先では、約7000万年前に全ゲノム重複を共有していたことが示唆されている[9]。より古い時代の単子葉植物の系統では、真正双子葉植物と別箇に1回以上の全ゲノム重複が起きていた[10]

すべての現生被子植物の共通祖先で、1億6000万年前に倍数化イベントが起こったとする説もある[11]。その古倍数性イベントは、基部被子植物であるアンボレラ Amborella trichopoda のゲノムを配列決定することによって研究されている[12]真正双子葉類は共通の全ゲノム3倍体(paleo-hexaploidy[注釈 1])を共有しており、これは単子葉植物と真正双子葉類が分岐後、バラ類キク類の分岐前に起こったと推定されている[13][14][15]。多くの真正双子葉類では、さらに全ゲノム重複や3倍体化を経験している。例えば、初めて全ゲノムが解読された植物であるモデル植物シロイヌナズナは、コア真正双子葉類が共有するゲノム重複以降にも、加えて少なくとも2回の全ゲノム重複を経験している[4]

真菌

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13 Mbp未満と小さなゲノムであるにもかかわらず古倍数性が実証されている例の1つはパン酵母で、Kluyveromyces lactisK. marxianus などのクリベロミセス属酵母[16]から分岐した後に全ゲノム重複が起こったことが強く示唆されている[17]

脊椎動物

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植物に比べ、動物界では古倍数性は非常に稀で、主に両生類硬骨魚類で確認されている。ヒトを含む脊椎動物には1つ以上の共通のゲノム重複があるとする研究もあるが[5][6][7]、重複があったとしてもかなり古い時代で[注釈 2]、まだ議論がある。

脊椎動物のゲノム中には2万個から3万個の遺伝子が含まれているが、その大部分は遺伝子重複によるパラログを含んでいる[18]。脊椎動物の系統では、全ゲノム重複が何度か起きたと考えられている[18]。そのうち、脊椎動物の進化の初期段階に起こった全ゲノム重複は「2R (two-round)」と呼ばれ、頭索動物尾索動物と分岐した後、軟骨魚類の分岐以前に起こったことが確実だと考えられている[18]。1度目は円口類の分岐以前であることが確実だと分かっているが、2度目の全ゲノム重複は円口類の分岐以前なのか分岐後なのかは議論があった[18]。また、条鰭類のうち、真骨類の系統では、「3R」と呼ばれる3度目の全ゲノム重複が起きた[19]

1970年、大野乾によって「脊椎動物では進化の初期段階で全ゲノムの重複が2回起こり、すべての脊椎動物は古倍数性起源である」とする2R仮説が提唱された[20]。2R仮説では、脊椎動物のゲノムは無脊椎動物のゲノムの4倍となるはずだと予測されていた。脊椎動物では4つの遺伝子ファミリーに((AB)(CD))構造が存在しないという2R説への反論があったが、もし2つのゲノム重複が近接して起これば、このトポロジーにはならない[21]ナメクジウオ Branchiostoma lanceolatum のゲノム配列は、全ゲノムの重複が2回行われ、その後、ほとんどの遺伝子で重複コピーが失われたという仮説を支持するものであった[22]。最近の研究ではウミヤツメ Petromyzon marinus遺伝地図が作成され、脊椎動物の基部系統で1つの全ゲノム重複が起こり、その前後に脊索動物の進化上独立したいくつかのセグメント重複が起こったという仮説を強く支持する結果となった[23]

この2回の全ゲノム重複は、Hox遺伝子のクラスターが4つに増えたことや[18]、脊椎動物の系統で複雑化した補体系の進化にも影響していると考えられている[24]

進化における影響

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表現型の進化
全ゲノム重複は、生物が新しい形質を獲得する速度と効率を高める可能性がある。しかし、この仮説を検証するために、硬骨魚類についてゲノムの重複がある初期に分岐した真骨類と重複がない初期に分岐した全骨類間で革新的進化に関わる進化速度を比較したところ、ほとんど差がないことが分かった[25]
種分化
多くの倍数化現象は、適応形質の獲得や、2倍体との不和合性によって新しい種を生み出したと考えられている。スパルティナ属英語版 Spartina[注釈 3] では、雑種化と倍数化の両方により高度に侵略的な種スパルティナ・アングリカ英語版 S. anglica を進化させたことでよく知られている[26]。19世紀初頭に6倍体のヒガタアシ S. alternifloraアメリカ東海岸からイギリス南部とフランス西部に導入され、在来の6倍体であるスパルティナ・マリティマ英語版[27] S. maritima と交雑し、6倍体の雑種 S. × townsendii を形成したが、その S. × townsendii でゲノム重複が起こった結果、繁殖力と生命力の強い同質倍数体(12倍体、複二倍体)の新しい種 S. anglica が形成され、イギリスとフランスの塩性湿地河口を急速に帰化した[26][28]。両親種は限られた分布を保っているため、倍数化によってより適応的な形質を獲得したといえる[26]

異質倍数性と同質倍数性

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倍数性は大きく分けて、1つのゲノムが2倍になる同質倍数性と、2つの種のゲノムが結合する異質倍数性がある。異質倍数体は近縁種同士の交配によって生じるのに対し、同質倍数体は同種の親同士の交配[29]もしくは親の生殖組織における体細胞倍加によって、1つの種のゲノムが重複することによって生じる。自然界では異質倍数体の方が多く存在すると考えられているが[29]、これは異なるゲノムを受け継いでヘテロ接合性が高くなり、より高い適応度が得られるためと考えられる。このような異なるゲノムは、有利に働くこともあるが有害になることもある大規模なゲノム再編成の可能性を高める[29][30]。それに対し、一般に同質倍数性は中立的な過程だと考えられているが[30]、異質倍数性の種では必要な時間とコストのかかるゲノム再編成を受けずに新しい生息地に素早く適応することができ、種分化をもたらす有用な機構として機能するという仮説が立てられている。自家受粉が可能な完全花では、減数分裂のエラーによる異数性とともに、同質倍数性の可能性が非常に高い環境を作り出すことができる。

倍数化イベントの後、重複した遺伝子には、両方の重複遺伝子が機能的な遺伝子として保持される可能性や、どちらかか両方の重複遺伝子で機能の変化が起こる可能性、遺伝子サイレンシングにより片方または両方の重複遺伝子に起こる可能性、そして完全な遺伝子欠失が起こる可能性が考え得る[29][31]。ゲノム重複の後、時間が経つにつれて、重複遺伝子の機能が変化するか[注釈 4]、同質倍数性においてゲノム重複によって引き起こされるゲノム再配置によって遺伝子発現に変化が生じるかによって多くの遺伝子の機能が変化する。ある遺伝子の重複遺伝子が両方とも保持され、コピー数が2倍になると、その遺伝子の発現が比例して増加し、2倍のmRNA転写物が生産される可能性がある。また、重複した遺伝子の転写が抑制され、その遺伝子の転写の増加が2倍以下になる可能性もあるし、重複によって転写が2倍以上に増加する可能性もある[32]。例えば、ダイズ属ナガミツルマメスウェーデン語版 Glycine dolichocarpa では、約50万年前に起こったゲノム重複の後、転写が1.4倍増加したことが観察されており、遺伝子コピー数が倍になったのに対して転写が相対的に減少したことが示唆されている[32]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「古六倍性」
  2. ^ 植物が200 Ma未満なのに対し、約400 - 500 Ma
  3. ^ 以下に示される種はネズミノオ属英語版 Sporobolus 属として扱われることもある。
  4. ^ 異質倍数性、同質倍数性の両方で考え得る

出典

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  1. ^ a b 農林水産省 2007, p. 8.
  2. ^ a b 金刺 2018, p. 1.
  3. ^ Kellis et al. 2004, pp. 617–624.
  4. ^ a b Bowers et al. 2003, pp. 433–438.
  5. ^ a b Wolfe 2001, pp. 333–341.
  6. ^ a b Blanc & Wolfe 2004a, pp. 1667–1678.
  7. ^ a b Blanc & Wolfe 2004b, pp. 1679–1691.
  8. ^ Wang et al. 2011, pp. 1035–1039.
  9. ^ Paterson, Bowers & Chapman 2004, pp. 9903–9908.
  10. ^ Tang et al. 2010, pp. 472–477.
  11. ^ Callaway 2013.
  12. ^ Adams 2013, pp. 1456–1457.
  13. ^ Tang et al. 2008a, pp. 486–488.
  14. ^ Tang et al. 2008b, pp. 1944–1954.
  15. ^ Jaillon et al. 2009, pp. 463–467.
  16. ^ 山岡千鶴、栗田修、山﨑栄次「清酒酵母とクリベロミセス属酵母との異種酵母混合培養法による清酒小仕込試験」『日本醸造協会誌』第109巻第9号、2014年、679-686頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan.109.679 
  17. ^ Wong et al. 2002, pp. 9272–9277.
  18. ^ a b c d e 工樂 2018, p. 156.
  19. ^ 工樂 2018, p. 157.
  20. ^ Ohno 1970.
  21. ^ Furlong & Holland 2002, p. 531-544.
  22. ^ Putnam et al. 2008, pp. 1064–1071.
  23. ^ Smith & Keinath 2015, pp. 1081–1090.
  24. ^ 中尾 2018, p. 509.
  25. ^ Clarke, Lloyd & Friedman 2016, pp. 11531–11536.
  26. ^ a b c te Beest et al. 2012, pp. 19–45.
  27. ^ 環境省 2005.
  28. ^ 環境省 2011, p. 5.
  29. ^ a b c d Soltis & Soltis 2000, pp. 7051–7057.
  30. ^ a b Parisod, Holderegger & Brochmann 2010, pp. 5–17.
  31. ^ Wendel 2000, pp. 225–249.
  32. ^ a b Coate & Doyle 2010, pp. 534–546.

参考文献

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