古今亭甚語楼 (2代目)
二代目 古今亭 甚語楼(ここんてい じんごろう、1903年4月12日 - 1971年1月14日)は、落語家。本名∶田中 秀吉。出囃子は『新曲浦島』。
二代目 | |
本名 | 田中 秀吉 |
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生年月日 | 1903年4月12日 |
没年月日 | 1971年1月14日(67歳没) |
出身地 | 日本 |
師匠 | 初代柳家三語楼 六代目春風亭柳枝 初代柳家三語楼 五代目古今亭志ん生 |
名跡 | 1. 柳家語ン平 (1919年 - 1924年) 2. 春風亭一枝 (1924年 - 1925年) 3. 柳家三太楼 (1925年 - 1941年) 4. 古今亭志ん太 (1941年 - 1943年) 5. 五代目古今亭志ん馬 (1943年 - 1949年) 6. 三代目柳家小せん (1949年 - 1958年) 7. 二代目古今亭甚語楼 (1958年 - 1971年) |
出囃子 | 新曲浦島 |
活動期間 | 1919年 - 1971年 |
活動内容 | 落語 幇間 |
所属 | 落語協会 (1923年 - 1927年) 三語楼協会 (1927年 - 1930年) 落語協会 (1941年 - 1971年) |
経歴
編集1921年に二ツ目昇進。
1924年、六代目春風亭柳枝の預かり弟子になり春風亭一枝に改名するが1925年に三語楼の一門に戻り、柳家三太楼と改名。このころから人気が出始め、SPレコードへの吹き込みを行ったり、橘ノ百圓と掛け合いの落語を演じたりしている。
1933年に幇間に転向し名古屋に出向くか1941年に幇間制度が廃止されたため落語界に復帰し、五代目古今亭志ん生の門下(志ん生は「内輪」としている)になって志ん太を名乗る。
1943年6月、真打昇進し古今亭志ん馬を襲名。1949年5月には三代目柳家小せんを襲名する。
1958年8月、かつて師匠志ん生が名乗った名である二代目古今亭甚語楼を襲名。本来は「柳家甚語楼」だが、古今亭志ん生の一門に属していたので亭号を「古今亭」とした。
1971年1月14日、死去。享年67。
芸歴
編集出典
編集- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X