及川 順郎(おいかわ じゅんろう、1937年4月13日 - 2018年7月22日[1])は、日本政治家山梨県出身。元参議院議員(2期)。二十一世紀ヒューマン協会会長。

及川順郎
おいかわ じゅんろう
生年月日 (1937-04-13) 1937年4月13日
出生地 北海道
没年月日 (2018-07-22) 2018年7月22日(81歳没)
出身校 日本大学理工学部
前職 公明新聞記者
所属政党 公明党

選挙区 全国区
当選回数 2回
在任期間 1986年 - 1998年
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経歴

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1937年4月13日[2]、山梨県に生まれる。

1962年、日本大学理工学部卒業。その後、鳳書院出版業務、聖教新聞記者を務める。

1964年、公明新聞の編集を務める。

1969年12月27日第32回衆議院議員総選挙に、山梨県全県区から公明党公認候補として立候補し、次点で落選する。以降、衆議院議員総選挙に合わせて4回立候補し、全て落選する。

1983年6月26日第13回参議院議員通常選挙に立候補し、次点で落選する。

1986年7月6日衆参同日選挙第14回参議院議員通常選挙に立候補し、初当選する(以降、連続2期)。

1988年公明党委員長矢野絢也の下で、公明党中央執行委員を歴任する。

1994年12月5日、公明党の解散にともない、公明結成に参加する。

1995年7月、参議院議員通常選挙後に、公明代表の藤井富雄の下で、公明政策審議会長に就任する。

1998年1月、浜四津敏子の公明代表就任にともない、公明政策審議会長を退任する(後任には続訓弘が就任)。

1998年7月、第18回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界を引退する。

2018年7月22日、成人T細胞白血病のため死去[1]。81歳没。

役職歴

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  • 公明党中央執行委員
  • 公明政策審議会長

著書

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  • 『21世紀のキーワード』 富士国際平和研究所、1998年。

脚注

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  1. ^ a b “及川順郎さんが死去 元公明党参院議員”. 朝日新聞. (2018年7月23日). https://www.asahi.com/articles/ASL7R4VWRL7RUTFK00P.html 2018年7月23日閲覧。 
  2. ^ (日本語) 生年月日(誕生日)データベース”. 2014年4月23日閲覧。
議会
先代
続訓弘
  参議院外交防衛委員長
1998年
次代
河本英典
先代
中西珠子
  参議院法務委員長
1995年 - 1996年
次代
続訓弘
先代
和田教美
  参議院科学技術特別委員長 次代
刈田貞子