原田鋼
日本の政治学者
原田 鋼(はらだ こう、1909年9月17日 - 1992年7月17日)は、日本の政治学者。1942年法学博士(学位論文「法治国家論」)[1](東京帝國大學)。元中央大学学長。清・大連生まれ、栃木県大田原市で育つ。
原田 鋼 (はらだ こう) | |
---|---|
生誕 | 1909年9月17日 |
死没 | 1992年7月17日(82歳没) |
研究分野 | 政治学・政治思想史・政治哲学・政治権力の社会科学的研究。 |
研究機関 | 中央大学 |
出身校 | 早稲田大学(学士)・東京大学(博士) |
プロジェクト:人物伝 |
来歴
編集1936年早稲田大学政治経済学部卒業。東京帝国大学法学部助手。早稲田大学政治経済学部非常勤講師。1948年中央工業専門学校専任講師。1949年中央大学法学部教授(政治学原論・政治史・法哲学を担当)。1965年中央大学評議員( - 1973年)。1969年中央大学学長。1980年中央大学停年退職。同名誉教授。1989年、文化功労者。
この他、司法試験第二次試験考査委員(旧司法試験)(1961年 - 1974年)、国家公務員上級試験専門委員(1961年 - 1981年)、日本政治学会理事長(1966年 - 1968年)、日本学術会議会員[2]。